Rokumonya Web
働きます(5日間限定)
明日(正確には今日か)から金曜日まで一週間、働きます(笑)。とりあえず、期間限定。
10、11日は渋谷でタイ・フェスティバルという情報もいただきましたが、準備に追われてやっぱり行けなかった。
ところで、いわゆる日本的、日本人的美徳や道徳を少々、欠いているおれだが、それでも日本人なので、そんな徳を持った人たちに囲まれ育ち、その人たちが維持し育んできた社会で育った。ここがおれにとってもスタンダード、基準点である。自分ができないことややりたくないことでも、フツーの人たちはちゃんとやってくれる。
おれみたいな日本人が一番、この国から恩恵を受けていると思う。全員、おれみたいなヤツばかりだったら、ソフトもハードも南アジアや東南アジアと変わらない状態になっているだろう。
だから、おれにとって、この国で暮らすということはとても贅沢なことだ。ただ、同時に困った矛盾でもあり、それ故に困難でもある。
まあ、今はせめて、ちゃんと周りに合わせ日本人らしく振る舞い、おとなしくしている。
思い出してみれば、インド人やバングラデシュ人も日本に来るとほとんどのヤツが勤勉で礼儀正しい節度を持った模範的な市民になる。しかし、当然ながら、その変化は時限的かつ空間的にも限定されていて、彼らは自国に帰るとたちまち「正しい」(笑)インド人やバングラデシュ人に豹変する。
考えてみるとおれも同じだ(笑)。一歩、この社会の外に出ると人格が豹変する。きっと、多かれ少なかれ、誰もがそうなのだろうが、不思議なモノだ。社会なんて実態のない不確かなモノのようでいて、見えない意志や妙な強制力を持っている。
帰国して2ヶ月。しっかり適応している気になっているが、それはあくまで私生活でのこと。仕事となるとハードルが一段上がるだろう。わずか5日間とはいえ、今後のためにもけっこう重要な5日間なのであって、へまをしないように気をつけたい。
それよりなにより、今晩眠れるのか、朝起きれるのか…心配だ(笑)。
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ドキュメンタリー映画「ブリッジ」
ビデオ鑑賞。
監督:エリック・スティール
サンフランシスコ・ゴールデンゲートブリッジで自殺するヒトビトを追った作品。

テーマを絞ったことが成功でもあり失敗でもある。
もちろん、「橋からジャンプするヒト」というアイディアがすべてであり、そのアイディアゆえに作品として成立した。
しかし、そのアイディアは深化しないまま、橋とそこから身を投げるヒトを捉えた衝撃映像だけに収縮し、他に観るべきところもない単なるキワモノ映画として成功を矮小化してしまう。
ゴールデン・ゲート・ブリッジという象徴、映画的にいうなら「モノリス」が圧倒的にでかくなりすぎて、作り手は完全にそれを持て余している。残された遺族や友人、自殺に失敗して生き残った者へのインタビューは焦点が見えない。
まあ、考えてみれば、自殺とは手段が問題なのではない。具体的な手段の如何に関わらず、自殺という行為そのものが問題なのであり、その過程が問題なのだ。それなのに、この映画は、当たり障りのない動機論に終始し、ステロタイプな自殺志願者像を観客に与える。
ふと、キアロスタミの「桜桃の味」を思い出す。
「おれを殺してくれ」と頼んで回る男の話だ。手段も特異だが、作り手はその特異さに流されない。フィクションなのにココロにずきずきくるリアリティがある。「ブリッジ」は実在の人物の自殺を描いているが、なんとステロタイプで薄っぺらいことだろう。もしかしたら、現実とは、実在の人のココロとはこの程度なのかも知れない…、いや、やっぱ、そんなことはないと思う。
「ブリッジ」は、ココロの闇に立ち入ることなく、自ら選択したモノリスに引きずられて、襲撃映像へと逃げ込む。
センセーショナルなワン・アイディアを作品化するにあたって、作り手は言い訳を用意したかったのだろう。インタビューはまさにこの映画の作り手による「製作意図」の説明となっている。
かなりできの悪い言い訳である。さらに意図的に構成をばらしたり交錯させたりして、橋のショットを挿入する。そりゃ、映画「ブリッジ」のモノリスなのだから入れたいのはわかるが、ほとんどの場合、編集意図が見えない。
もう、ここまできてしまうとどうしようもない。いっそのこと、もっとカメラをたくさん使って、自殺者が橋に現れてから飛び込むところまでだけの映像で一本の作品にした方が良かった。
そんな度胸と潔さ、覚悟もなくて、こういうテーマの映画を撮っちゃいけない。
おれは別に自殺者を止めもせずにカメラを回していることを非難したりする似非人道主義者ではない。それより、この映画の迎合的で中途半端な姿勢が鼻につく。
まあ、とにかく、サイテー、最悪の部類に入る映画だった。
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MId Life Crisis(中年の危機)
「English as Second Language」というPod-castの教材がある。
Webサイトもあるし、お金を払ってプレミアムコースなどというのもあるらしいのだが、そっちの方は確認していない。iTUnesにデフォルトで入っていたので、そこからダウンロードできる素材をi-podに入れてときどき聴いている。
各素材はだいたい15~20分程度で、トピックについてまず、非常にゆっくりと会話や朗読が行われる。次いで、出てきた単語や言い回しなどについて解説があり、最後に通常のスピードで最初の会話、または朗読が繰り返される。
英語の公的資格を取るためのお勉強にはあまり向いていないのかも知れないが、この無料の素材はそんなに高度ではないし、ちょっとおちゃらけたところもあって、バカバカしく楽しい。それでいて、なにより、勉強をしている気になれるところがいい(笑)。
今日、聴いた素材は「Mid-Life-Crisis」というテーマ。中年の危機だ。
ある奥さんが友人の男性に自分のだんなのことを相談をしているという設定。「最近、妙にふさぎ込んでいたと思ったら、突然、新しい高価なスポーツカーを買ったりして様子がおかしい」という彼女に友人は「そりゃ、やばい兆候だ!」という(なにしろ、全体で15分程度だから展開が早いのだ・笑)。「おれの兄貴は離婚して若い娘と付き合いだし、ロック・バンドをはじめた」(極端!)とかなんとか。
まあ、ともかく…そんな小話のようなモノを聴きながら、「あぁ、おれも、ただの中年の危機に遭遇しているだけなのか?」と思ってしまう。別に命名はなんでもいいんだが、カタチは異なれど誰もが通過するのであるならば、もう少しスマートな対応をしたかったと思う。
精神的な混乱と逃避傾向はすでにケリがついたような気がするが、そのことによって現実生活に与えた影響の尻ぬぐいがまだ終わらない。
具体的なことは、もう少し情況が明確になってから整理して書きたいと思うが、昨日、尻ぬぐいのもっとも大きなヤマを越えた。ヤマ場はまだいくつか残っているが、すでにある種の居直りが出て来ているおれには、たいした問題ではない。
だからといって、具体的な将来が見えているわけではないんだが、かなり痛い目にあっても相変わらずおれは「先が見えない」ことにワクワクし、ゾクゾクしているのだ。
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スコータイ
今週初め、Jはスコータイに帰省した。
実家にはばあちゃんがひとりで暮らしているのだが、男と別れた叔母が息子2人と娘(ちなみに別れた男はこどもたちの父親ではない)を連れて戻ってきていて、廃屋同然のあばら屋はずいぶん賑やからしい。
ここは母方の実家である。
以前にも記したがJの父親は彼女が若い頃に亡くなっている。その後、Jはここで祖母の手で育てられた。耕作地もなく、母は各所で土方仕事をしたり農業労働をしたり行商をしたりして、Jと祖母の暮らしを支えた。
母には5人ほど兄弟姉妹がいるようだが、やはりみな貧しい。
そのうち、母は新しい男とくっついてJには13も年の離れた種違いの妹ができた。その妹は早くも高校の同級生と婚約し、母、妹、その婚約者は実家から少し離れた街に部屋を借り、一緒に市場で露店をやっている。
この一家の父親もまったく裕福ではなく、母と一緒に行商をしたり、大工仕事をしたり漁をしたり季節によって仕事がころころ変わる。定職がないのだ。そのくせ、新しいオンナがいるとかいないとか(笑)…。最近じゃ、Jは彼をずいぶん嫌っていて、そんな男にくっついて祖母やJのことを顧みない母のことも悪く言う。
Jは中学を卒業するとバンコクに働きに出たり、ピッサヌロークの親戚に預けられて働きながら高校に通ったり、ガーメンスを営む家の息子に見初められ半ば使用人のような扱いを受けながらその家族と同居したりして10代を過ごした。
まともな家庭生活を送ったことがないから、彼女は余計に家族への思いが強い。家族団らんみたいなものに対する憧憬にも似た感情なのだろう。でも、母の新しい家族は自分のものではないという疎外感も強い。幼い頃、一緒に過ごした祖母が今も変わらぬ彼女の愛の対象なわけだが、それが報いられているかというそうでもない。
祖母にはこどもも多く孫となったらメタクソ多い。Jにとっては唯一の祖母だが、祖母からすれば、Jは「One of Them」なのかも知れない。ましてスコータイから出たこともなく齢80にもならんとする祖母がJの思いに打てば響くように応えてくれているようにも思えないし、共有する具体的なナニかがふたりの間に存在するようにも見えないのは無理もないことだ。
そんな一族郎党の中でJは唯一の街のヒトになり、洗練された「きれいなオネーサン」になった(あくまで家族と比較してのハナシだけど)。彼らがJをどう見ているか以前に、Jは血縁の前ではそう振る舞う。それはJのプライドであり矜恃でもある。
Jは偉そうな顔をして「I am manager in my family na」などという。確かに超のつく田舎者揃いの血族だが、おれから見ると、Jがブレインではまことにどうにも浮かばれない(笑)。
ところで、今にも朽ち果てんとしている実家は一生苦労してきた愛する祖母が余生を送る場である。また、今は叔母も家族を連れて戻って来ている。母だっていつ、妹の父と別れて戻ってくるかもわからないし、他にも食うために外に働きに出ているが、戻ったり出たりするメンバーがいる。もちろん、J自身にとっても、かけがえのないふるさとである。
現実的な生活レベルでは女系制ともいえるタイ社会で一族の大黒柱である(?)Jは、自分が音頭をとってなんとか、家を修繕、または建て替えたいと以前から思っていた。
じつのところ、今回、Jはそのために帰省した。
イサーン出身の友人が、一族みなで金を出し合い、自分たちで少しずつ作業して3年がかりで家を建て直したハナシに触発されたのだ。「メンバーはたくさんいるし、叔父や叔母は土方や大工仕事を知ってる。自分たちだってできる」と思ったらしい。「早くしないとばあちゃんが死んじゃう」と。
帰省する前に相談(無心)されて、実際にハナシがまとまったら、おれも助力することを約束させられた。
しかし、結果は惨敗(笑)。勇んで出かけ家族会議を招集したものの、誰も手を貸したがらず、金を出すなどもってのほか。「貧乏暇なし」なのだ。挙げ句の果てには疑心暗鬼の詰り合いがはじまり、叔父・叔母・Jの母の間で大げんかになったとのこと。
「気にしないでいいから帰りなさい」。祖母にそう言われて、Jは失望したまま、ついさっき、バンコク行きの夜行バスに乗った。
逐一報告されて、まったく、今月も電話代が高そうだ…。
ところで、帰省するたびにJは祖母のために米を一俵(ちょっと何キロか忘れましたが)買うのだが、前回おれと行ったときに760バーツだったものが1,500バーツに高騰しているとのこと。「銘柄を間違えたんじゃないのか?」と言ったが、「ばあちゃんの食う米の銘柄は間違えない」とのこと。
なんかあったんですかね。サイクロンの影響?
「おいおい、タイ、大丈夫か?」と思ってしまった。
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かなり最悪の体験
なんだかさっきから、よく揺れる。地震です。だらだら長い揺れでしつこい。
ところで、昨日、健康診断を受け、生まれて初めて内視鏡検査というのをやった。
「以前に受けられたことはありますか?」といわれて、そもそも、内視鏡がなんのことだかわからなかった。聞き覚えのある「胃カメラ」という説明で理解するとともに、ぞっとした。
なんだか怪しげな液体を飲まされ、喉がしびれてくると個室に呼ばれる。
若い看護師と技師が満面の笑みで迎えてくれる。ふたりとも女性だ。こどもをあやすようなしゃべり方でベッドに誘われ、左脇を下に横たわる。よだれかけが与えられ、口元には銀色のトレーがあてがわれて準備完了。
技師がエイリアンの触手のような黒くて長いものを持ってくる。これが入るのかと思うと少し気が遠くなった。先端はごまかしのように細いが、胴あたりは結構太い。ラバーのような素材なのだろうが、黒はやめて欲しいと思う。なんだか、威圧的だ。
なぜか、オンナの初体験に同情する。きっと、今のおれのようになにもかも上の空なのだろう。
「はぁい、入りますよ。チカラを抜いて楽にして…。むせたり吐こうとすると余計つらいですからねぇ、はぁい、食道が見えました、きれいですねぇ。異常はありませんよ。苦しいですか?…がんばってくださいねぇ。胃もいいですよぉ。少し、内容物を吸い取りますねぇ。きれいなピンク色です…まったく異常ありません。はぁい、胃の下の方も見ていきましょう。出口のあたりに少ぉし炎症がありますねぇ。でも、ダイジョーブ。ぜんぜーん、正常の範囲でぇす。では、十二指腸に入っていきましょう。大丈夫、あと20秒くらいですからねぇ。がんばってくださぁい…中略…はい、最後に胃の上部を見ていきますからねぇ。ちょっと苦しいかも知れませんが、がんばってくださーい。ホントにもう少しですからねぇ」
てな、カンジで延々しゃべりながら、しかし、すごく冷静に冷徹に管を押し込み引っ張りモニターを凝視している。
不快感もさることながら、「最悪の体験」と感じるのは、気持ち悪かったからというよりも、大げさに言えば、蹂躙されたようなカンジ、犯されたようなカンジがそう思わせるのだ。技師のしゃべりも良くない。口車に乗せられて部屋についていったわけでもないのに、あの胡散臭いしゃべりにごまかされ、だまされたような気までしてくる。
すべて終わったら、悄然と疲れてしまった。
とにかく朝からなにも食ってないし、カメラのレンズを遮る内容物は吸い取られてしまったので腹は減っているのだが、病院を出てからも食欲が湧いてこない。
まったく、歳食ってくるとロクなことはない。
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出生率の低下が持つ積極的な意味
一ヶ月ほど前、桜が満開だった同じ場所が、今は緑一色になっている。



今日はちょっと風があったがとてもいい天気で、むせ返るような緑のにおいが充満していた。このあたりはおれのアパートから歩いてすぐ。普段、こんな界隈に住んでいるので、昨日ように渋谷に出たりすると妙に疲れる。
和田堀公園や善福寺川公園は連休最後の日をくつろぐヒトビトで賑わっていた。家族連れも多い。家族連れを眺めながら、数日前に見た記事を思い出した。
子供、27年連続減少 過去最低1725万人 総人口の13・5%−世界最低水準確かにアジアの国々から帰ってくると日本のこどもの少なさに驚かされる。
誰もが言及することだが、「こどもが少ない」ってのは社会の強度が低下しているってことだし、社会、そしてその成員が病んでいるってことだろう。
その分析や評価にはいろいろな切り口があるだろうけど、ただ、おれが思うのは「できないようにヤル」ということに関してだ。もしくは、もっと進んでいて(?)「ヤラない」のだろうか。または、「欲情しない」?
電車に乗れば、吊りモノ広告はエロに関する内容が多く、書店やコンビニではそんな雑誌が所狭しと並んでいる。そして、繁華街には性を処理してくれる便利な店もたくさんある。武勇伝を綴るブログ、海外のエロ情報を発信するサイトにはたくさんのアクセスがある。
時代は変わっても、新しいメディアを牽引するのは常に「エロ」だ。
だから、「欲情しない」わけじゃないだろう。やっぱ、みな「できないようにヤッ」てる、または、ヤらないで「処理」しているわけだ。
これは、ある意味、節度があるといえないだろうか(笑)。頭の中が真っ白になって、後先考えずオンナにしがみつき、挿しては腰を振るなんて卑しいことを、現代日本人はしないのだ。
おれはそのあり方を病んでいるとも思いつつ、他でもない日本におけるそのような身の処し方は賢明かつ、革新的であるとも思うのだが、どうだろう?
または、少なくとも全体性が持つ平衡感覚に添った選択であるといえる。
それは昭和の初年代に辻潤が「この時代に子供を作るヒトの気が知れない」とその著作に記し、戦後、深沢七郎が「滅亡教教祖」を名乗ったことと通じる。
もちろん、傑出したふたりはヒジョーに挑発的な物言いをしていたわけで、その言わんとするところの本質は、出生率の低下を危惧する人たちも気づいている「事実」をちょっと過激なコトバで指摘したに過ぎない。
そう、そして、こうしたヒトビトの選択は、究極の行動的平和主義だ。平和なんて叫び合ったって訪れない。節度のない人間が、節度のない人間と対峙したら、さらに騒がしくなるだけだ。
しかし、この「できないようにヤル」節度を持ったヒトビトの群れが導き出す結果のなんと、静謐に満ちていることか(笑)。
いやぁ、いくら「脳みそ筋肉」のヒトたちが、あれこれ画策して怪しげな旗を振ってもね。年寄りばかりじゃどうにもなりませんわなぁ(笑)。
連休最後の日を慈しむように過ごす健全なヒトビトに混じってこんな不健全なことを妄想しているわけで、どうもスミマセン。
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「パラノイド・パーク」と「愛おしき隣人」
帰国してはじめて、劇場で映画を観た。贅沢にも2本。
渋谷はものすごい人出だった。考えてみればゴールデン・ウィークなのだから当たり前か。
一本目はガス・ヴァン・サントの「パラノイド・パーク」。

高校生である思春期の主人公が、微温的で自己完結的な学校という閉鎖的世界から、外の世界を知っていく過程で偶然ある事件を引き起こし、開かれていく世界を彼にとってより複雑で困難なものにしてしまう話。

しかし、サスペンスはあくまで副次的な要素だ。あくまで主人公の内面がテーマであり、撮影も音もそこに焦点を合わせて構成されているし徹底的に彼に寄り添っている。ハラハラ・ドキドキのアミューズメント的体験を期待するべき映画ではない。
音も懲りまくりだが、撮影がすごい。正方形に近いような映画というよりテレビのようなスクリーンが、その心象から目をそらすことを許してくれない。余計なものは巧妙にそぎ落とされているし、徹底的にぼかされている。カメラワークには漂うような浮遊感がありながら、曖昧さはない。「エレファント」以降のガス・ヴァン・サントの作品を観ていないが、「エレファント」から基本的な演出と撮影のテイストは変わっていない。
しかし、今回の撮影はウォン・カーウァイの盟友、クリストファー・ドイルが担当しているだけあって、より個性的でもあり、かつ、美的にもすばらしい。
が、研ぎ澄まされているだけに、少々疲れるのも事実だ。
続いて、ロイ・アンダーソン「愛おしき隣人」

相変わらず作り込みがすごい。エピソードの集積がそれぞれ少しずつ関連性を持っているのだが、ただそれだけ。まとめのような展開には決して至らない。しかし、ひとつひとつがとぼけていて、幻想的で、かつ、どこかリアルでもあり、目が離せない。
「パラノイド・パーク」がリアリティにこだわった映画だとすれば、こちらはフィクション性を徹底させることで、現実をかいま見せようとする。

相変わらずシュールでシニカルで、やがて哀しいが優しさもある。相変わらずというのは、数年前の「散歩する惑星」という作品を念頭に置いてのこと。これも見事な映画だった(ちなみに邦題も秀逸だと思う)。
タイじゃこんな映画はゼッタイ観れない。なんでもかんでも商品として消費する大東京ならではのこと。今日は素直に感謝しておこう。どちらもいい映画だった。
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節約生活
自分で書いたらバターパンに板チョコを挟んで食いたくなった。バターを買いに行くとぜんぜん売ってない。こういうことになってたんですねえ。知らなかった。
http://www.j-cast.com/2008/03/25018225.html記事を読んでみて、菓子店経営者の以下の台詞にびっくり。
「バターが手に入らない。無策な政府に怒りを覚える」。
失礼ながら、そんな台詞しか吐けないヒトはいい機会だから店をたたんだ方がいいかも知れない。
「職がない。無策な政府に怒りを覚える」
「飯がない。無策な政府に怒りを覚える」
「金がない。無策な政府に怒りを覚える」
「夢がない。無策な政府に怒りを覚える
「愛がない。無策な政府に怒りを覚える」
この人の論理なら、なんだって通用するだろう。
いや、もしかしてメディアがそう誘導しているだけなのかも知れない。実際、こんな短絡的な台詞を身近で聴いたことないし(笑)。
それなら精一杯、寛容になって、土井健郎の「甘えの構造」を読むことを勧めたいところだ。
ところで、最近、Jは一生懸命、節約して生活しているらしい。
電話で自慢げに「今日はまだ60バーツしか使ってない」とかいう。「ドリアン食べてるとそれだけで満腹で食費が抑えられる」らしい(笑)。
褒めると、返す刀で「あんた、いくら使ったの?」とかいわれると、ちょっと答えに窮する。なにしろ、日本の物価は高い。飯食ってコーヒー飲んでたばこ買ったら、軽く300バーツを超える。
それにしても、世の中、収入なく年金やら貯金やらで生活しているヒトもたくさんいるだろうが、拭いきれない精神的な窮屈さがあるだろうと察する。この1年、おれもただカネを使うだけの暮らしをしてきたが、有限の資源(貯金)が枯渇していく様を眺めつつ日々を送るのは、言い難い不安もつきまとうモノだ。
しかし、石油とか天然資源だって同じなんだろうが、そこに実感が伴わないのはしかたないハナシだ(笑)。
おれはまだ40だから、まったく働き口もなくその可能性もないということにはならないだろうが、これが60,70という年齢で、もう、働こうにも働けないとなったら、どうだろう。いまや、下手に健康だとおれみたいな人間だって80くらいまで楽に生きかねない。
もちろん、死ぬまで遊蕩しても全然ヘーキというならいいがね。
一方で、明治大正の貧乏文士たちだが、カネを懐にするとそれがつきるまで遊蕩三昧である。カネがつきてから金策をはじめる。しかも一発勝負的な山師的方法ばかり模索する。そして、当然のことながら失敗する。家賃は滞納、借金まみれで女房こどもには逃げられる。
そして、その顛末を赤裸々に書いた作品を原稿用紙一枚いくらで売って、どうにか一息つく。
いやー、ホント、心底見倣いたいモノだが…。
今の世の中、家賃なんか滞納したらすぐに追い出されるだろうし、そんなヤツには誰も金なんか貸してくれるとも思えない(笑)。
呑気なJは、「また、たこ焼き屋やって暮らそうよ」という。
彼女もそれなりに楽しかったようだ。もちろん、おれも楽しかった。でも、あくまで時限的な楽しみだ。コン・タラートにはなりきれなる自信はない。まして、1万バーツ2万バーツで、死ぬまでたこ焼き焼きながらビア・レオ飲んでは暮らせない。
そう思うと、別に社会ではなくおれが病んでるワケで、しかもきっとおれだけじゃない。おれたちが病んでるから社会も病んでるのだ。
まあ、「鶏が先か…」みたいなハナシなんだろう。
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茶飲み話
いつも駅前の茶店に行く。
この界隈は茶店がたくさんあることで有名らしいが、おれは最近、ほとんどここだ。
サンマルク・カフェというチェーン店なのでコーヒーは安い。しかし、ドトールよりはうまいような気がする。ドトールは小さな店が多くて、どこも空気がこもっているような印象が強いが、ここは通りに面した側が開放されていて心地よい。
コーヒーのMサイズとチョコの入ったクロワッサンで400円。百数十バーツってとこだろうか。おれはチョコとパンの組み合わせが好きで、時々、板チョコを食パンに挟んで食っている(ちなみにパンは焼いて熱い方がよく、板チョコは冷えてカキッと固い方がよい。バターをたっぷり塗ると尚のことよい)。是非、お試しあれ(笑)。
今日、この茶店で50がらみのおじさんに話しかけられた。隣の席で小さなメモ帳を手に黙想していたおじさんが、おれの聴いていたi-podに興味を持ったのがきっかけのようだ。おれは柄にもなく英語のお勉強などをしていたので、podcastについて説明すると、「東芝のワープロを愛用して」いてPCも持ってないし、ネットもしたことがないという。おれなんか、PC中毒、ネット中毒だからちょっと新鮮だった。
そのうち、なぜか世情の話になり、おじさんは次第に熱のこもった表情で「今の日本はだめです」「ゆがんだ資本主義を正すためになにかしたい」と若者のようなことを言いだし、また、中国が共産党支配の人民共和国といっても、それは時代の要請に合わせた擬態であって、本質的に中国はいつの時代も皇帝制による人民への不信と服従の要請の上に成り立っている国なのだということを理解してあげないと、現在の中国を見誤るとかなんとか言っていた。なにやら、インドとヒンドゥ教にも興味があるらしい(笑)。ヒンドゥ教やインド的価値観がいかに今の日本に必要かを説いてくれた。
「何か鬱積しているのは若い連中やおれたちばかりでもないんだなあ」と思った。
なかなか博識なおじさんだったが、つい先入観も働いて、世代的に「旧態然とした枠組みとかイデオロギーとか囚われたタイプかも」と構えてしまっていた自分は質が悪い。
しかし、どうなんでしょうねえ。多かれ少なかれ「同時代」の情況にはだれもが不満を持つわけで、だれもが政治や経済について評論家のように語るのは日本に限ったことでもないが、いつでも、おれたちの議論は国家や体制と郷土というか地域やコミュニティ、そしてそこで暮らし、暮らすヒトビトの境界が曖昧なまま、全部ひっくるめて「「日本は…」とされているような違和感を感じるさせられることが多い。
だから、おじさんの話題も「不満」という点では明確だが、「なにに」ということになると曖昧であり、論点は定かでなくなってしまう。
そして、各論のレベルでおじさんとおれの考え方や理解にはきっと大きな隔たりがあるはずだが、おれたちの会話においてその前提は確認されずぼかされたまま。「気分」的な共感や同意だけが拠り所になっている。
いや、もちろん、「たかが茶飲み話だろ」といわれればそれまでなのだ(笑)。しかし、振り返ってみればおれたちは茶飲み話に限らず、いつでも、こうやって「気分」を土台にした議論を展開し、交渉を行い、演説を聞かされているようにも思う。
そんな言葉のやり取りは、記憶に定着せずいったい何のハナシだったのか、すぐ曖昧になるものだ。
閉店のアナウンスに促されて店を出るとき、おじさんは「よく来るの?」と訊いた。よく来るもなにも最近は毎日なのだが、「じゃ、また、お話ししましょう」といわれて少し気が重くなってしまった(笑)。
日常的に茶店で行き会った者同士が茶飲み話をする世界でならなんてことはないが、ここでは茶飲み話ひとつも気安く楽しめないなんて、おれも病んでるもんだ…。
茶店に通う道すがら




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「風」なおれ
とあるシンガポーリアンの友人がヨガに凝っている。
5年来だそうな。
ヨガには人体を風、火、水など、何種類かの特徴的要素によって分類するらしい。
彼女によるとおれは「バータ(風)」。
「風」なおれは、情熱……熱さが足りないという診断。
「赤い肉を食いなさい」といわれた。
このおれに「情熱」が足りないとは(笑)。まあ、確かに引きこもり系の精神構造ではあるのだが。わかるようなわからないような……。
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