せっかくモトクロスなのだから
サイアム・カントリー・クラブというゴルフ場を抜けて、さらに内陸部へとバイクで走ってみた。
こんな風景がひらけて来る。

あの丘まで走ってみることにする。
サイアム・カントリー・クラブ入り口の植樹。黄色の火炎樹みたいでキレイだった。

暑くて、乾いた風が吹いていて心地良い。

焼畑やってます。

乾いた土で道はずるずる滑る。

延々と続くパイナップル畑。

あまーい香りに満ちていました。

ボワーンとだだっ広くて、ヒトの気配もないこんな風景を眺めていると、タイ王国がそこら中にやたらと国旗を掲げたくなるのもわかるような気がしてくる。
大陸でその版図を維持するのはなかなか容易じゃないのだろう。
しかし、こんなハナシもある。アショーカ王という仏教を篤く信仰し保護したインドの王がいた。
その版図は文献によると「バニヤン樹の茂るところ」と記されているらしい。つまり、明確な国境などなかったのだ。「だいたい、この辺まで」みたいな感覚である。
もちろん、近代国家成立以前のハナシ、紀元前のことだ。でも、そんな時代と大して変らない頃、中国では万里の長城なんてものを築いていた。
アジアってのは「中国的なるもの」と「インド的なるもの」のせめぎあう地だと思う。
東南アジアはその両者の折衷である。
ちなみに日本は「中国的なる」ものから逃れて、しかし、その中国に対抗せねばならないがゆえに、「小中国」を築くことで「中国的なるもの」から解放された島。大いなる矛盾を抱えた中国文明の衛星…だろうか。
きっと、数百年とか数千年のタームで台湾もそういう島になる。
おれのはじめての海外旅行は20年も前になるが、中国だった。1ヵ月半の旅行で疲れ果て打ちのめされて帰ってきた。
その3年後、インドに行った。2年半の暮らしですっかりインドになじんでしまった。おれはアジア人としては「インド的なるもの」寄りである。
そんなことを考えながら、スリップを繰り返しつつ転ばないようにバイクで走る。
結局、丘にはたどり着けなかった。麓までで道は丘を迂回してしまうのだった。
舗装道路を離れてからふたたび戻るまで、だれにも遭わず…。ヘンな大晦日だった(笑)。
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Life Goes On
年始そうそう、いろいろなことがありまして、更新をサボってしまいました。
これから1ヶ月ほど、パタヤを離れます。
今日はJと一緒にバンコクへ。
そのまま、彼女を連れて小旅行に出かけ、自分はちょっとした用事でインドに行きます。
彼女はバンコクからパタヤに戻りますので、きっと、週末くらいにはたこ焼き屋を開けるはずです。
自分も2月には戻ってくるつもりです。
どうぞ、引き続き、よろしくお願いします。
ということで、しばらくブログはお休みします。
前記事にコメントくださったみなさま、どうもありがとうございます。
また、ときどき覗いていただければ幸いです。
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パタヤから
3日にバンコクに出、インドのヴィザを申請。5営業日必要とのことで、4日から8日までJとふたりでカンチャナブリに旅行した。
9日にバンコクでヴィザを手にしたものの、直近では手ごろな価格の航空券が取れず。結局、13日のチケットを買った。バンコクはあまり好きになれないし、金ばかり使ってしまうので10日、パタヤに戻ってきた。
ということで、「年末年始も営業します」と大見得を切ったものの元旦から10日まで休んでしまった露店を今日、久しぶりに開けた。
隣の店の兄ちゃんが「何人も日本人が来たよ」といった。お越しいただいたみなさま、どうもスミマセン。気にかけていただいてどうもありがとうございます。
正月休みはとっくに明けたと思うのだが、市場はヒトが少なく、今日の売り上げは560バーツ。
まあ、長く休んでしまったし、しょうがないか。
ところでカンチャナブリといえば「戦場にかける橋」。
大日本帝国軍が捕虜やアジア各地から徴発した労働力を酷使して、多くを死に至らしめたかの有名な泰緬鉄道がいまも観光用に一部運行しています。
クワイ川に沿った道路の一角がゲストハウス街になっていて、飛び込みでとあるコテージ風のゲストハウスに泊まった。エアコン、ホットシャワーつきで600バーツ。
バンコクからのバスを降りて、モタサイ・タクシー(サイドカー仕様)に言われるままに連れて行かれたゲストハウスはえらい不便なところにあり、それは邪険にお断りして、中国系の抜け目なさそうなマダムが丁重に迎えてくれたチャトゥナン・ゲストハウスというところを選んだ。安普請だったけど敷地は広く庭も植え込みもよく手入れされていて悪くなかったです。
ビルマ人の夫婦(タイ語が通じない)をこき使っているところが「マダム、やるな…」ってカンジでした。
ところでこんなところにもバービアがあって、沈没っぽいファランがいて、そのファランにくっついているオネーサンたちがいる。物価も安そうだし過ごしやすいのかな?
二日目はレンタカーを借りてエラワン滝というところを散策。


「おお、タイにもこんな清流が…」という驚きはあったものの、いまやダムだらけとはいえ清流にかけて日本は相当なものですから、日本人が行って感嘆するほどのものではない。おれ、高校は山岳部、大学は探検部(バブル期にかなりマイナーな青春だった)なので沢登りなんかにもよく行ったのだ。
下から上まで滝を巡りながら散策。ゆっくり歩いて往復2時間強。
たくさんのファランが上り下りしてましたが、「なんで遊びに来てこんなつらい思いをしなきゃいけないの」とぼやきながらも、Jは彼らの間を身軽に縫って50バーツのサンダルでほいほい歩く。
西洋人はスニーカーやらハイキングモードのシューズで、それでも濡れているところや岩場はやたら慎重。彼らと較べるとサンダル履きのJやおれは「自然を舐めている」ということにもなりそうだが、Jの歩くさまを見てるとまあ、おれたちアジア人は「やっぱ、サルだ」と思った。
たぶん、素足感覚がまるで違う。
翌日はHell Fire Passへ。

たくさんの捕虜が死んだオーストラリアが建てた博物館がある。
とてもエモーショナルな構成で、建設のモティベーションは強い怨恨に支えられているように感じた。Jは「コン・ジープン、ニサイメディ!」としきりにおれをねめつけ、「ファランがあんたを見る目が怖かった」とかいってる。
その後、泰緬鉄道に乗車。ここでカメラのバッテリーが終わってしまった。


車内はファランからタイ人のグループまでたいへんな混雑だった。
その後、二日間はのんびり過ごし、カンチャナブリ市内でクワイ川鉄橋、ふたつの博物館、連合軍墓地、日本軍が建てた慰霊塔などをレンタル・サイクルで巡る。
確かにJの言うとおり、時に西洋人からの冷たい視線を感じるような気がした。考えてみれば、産業革命以降、西洋人をほとんど奴隷として組織的に扱ったのは第二次世界大戦中の大日本帝国軍くらいのものだろう。
有史以来、ヒトはヒトに対してすさまじい抑圧をそこここで強いてきたわけで泰緬鉄道の悲劇がそんなに特別だとも思わない(別にそんな事実が大日本帝国軍の行いを希釈するるわけではないが)が、産業革命以降、天下を取った西洋人の心奥の何かが揺さぶられるのだろう。「涙を目に一杯溜めながら展示を見ていたファラン夫婦はあんたが通り過ぎると表情が変った」とJがうるさい。とにかく、Jは博物館ではファランの顔色ばかり窺っていた(笑)。
まあ、あまり難しいことは書きたくありません。
ただ、おれは履物職人で戦争時、徴兵に召じず田舎の山中で終戦まで逃げ通した祖父に、こんなとき、改めてココロからの敬意を抱きます。
9日朝、バンコクに戻りふたたび銀だこを食って、ついでにエスプラネードにあったアイススケート場にJを連れて行きました。Jはスケート初体験。スケート場で転びまくって今日もまだ筋肉痛(笑)。
ところで、スケートリンクの整備はまるで行き届いていませんでした。ガタガタです。ふたりで靴を借りて1時間券を買って600バーツを超えていた。高い。
翌10日、パタヤに戻る。
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Holiday of Holiday
年末、ウェールズ出身の沈没ファラン・Kと呑んだ時、かなり酔っ払ったおれは彼にどういう思いでここにいるのか、率直に訊いてみた。英語じゃ「婉曲に訊く」なんて技を持ってないから単刀直入になるのは当たり前だが(笑)…。
かれは大学を出ると23で大西洋クルーズの客船乗務員となった。ミュージシャンとしてである。6ヶ月乗船、6ヶ月ジャマイカで陸上勤務という仕事だったそうだ。
それ以降、かれはほとんど故郷ウェールズにとどまることなく海外を点々とする。メキシコ、インド、モロッコ、タイ…。音楽への情熱を失ってからは音楽教師として各地で暮らした。
タイでもかつてはインターナショナル・スクールで音楽を教えていた。
ちなみに彼ははじめてタイに来てから9年になる。そして、いまのタイ人ガールフレンドとは7年の付き合いだ。
おれの質問に彼は「I am sharrow man, you know mean」と答えた。
それから、ゆっくりとおれにわかりやすいようにこう言った(彼は外国暮らしが長いのでわかりやすい英語で話すのがうまい)。
「職業ミュージシャンなんてくそ(彼はShitといった)だし、教師ってのは学校しか知らない本当にひどい(Terrible)連中なんだ。おれにはもういかなる情熱(Passion)も残っていない。
おれの彼女の実家はバンコク近郊で、親戚一同がボートハウスに寄りかたまって暮らしている。ほとんどプライバシーなんてものはないし、貧しいなにもかもを共有するその日暮らしの生活だ。でも、彼女の爺さんは毎晩、酒を呑んで酔っ払い、ダメオヤジ扱いされながら娘や孫たちに介抱されて幸せそうなんだ。おれもあんな生活がしたい」
そんな彼の思いをKの彼女が共有しているとも思えないし、そんな枯れた心境や枯れざる得ない「インテリゲンチャ」の悲哀を理解するとも思えない。
おれたちが酔ったアタマをつき合わせてそんなハナシをしている間、Kの彼女とJは嬉々としてカラオケを熱唱していたのだから(笑)。
そして、おれはその後、しみじみと考えさせられてしまった。
どこか彼のShallowさと共通する浅はかさを持ってフラフラと40近くになるまで生きてきて、どこか彼が喪ったPassionと似たような情熱を失くしてしまってパタヤにたどり着いたおれは、彼のハナシに身につまされる思いがした。
Kは「イギリス人と日本人は似ている」といった。
しかし、彼は数人の友人を紹介してくれて一緒に呑んだりBBQしたりしたものだが、その連中とはどこかかみ合わなかった。彼とおれが似ているのかもしれない。
考えてみればパタヤで唯一の友人だ(笑)。
実はしばらくパタヤを離れ、インドとバングラデシュを訪ねることにしたのは、他に理由もあるとはいえ、Kとの会話がきっかけなのだ。
そう、「おれも本当になにもかも失ったのだろうか?」とそのことを確認するべきだと思った。
まだまだ、Kのように泰然と「沈没」することができていないおれ。彼を哀しい可哀想なオトコだなどとはまるで思わない。かえって、「開き直ってるな」とその潔さにチカラすら感じる。
それは金の問題もあるが(Kは死ぬまでカネには困らないといった。そのことで「I worry my father」だそうだ)、おれにはまだ、本当に「何もしたいことがない」といい切る自信がない。
実はしたいことがある。
本当にそれがしたいのか確かめてみよう。ここに来て6ヶ月。ちょうど良い頃合だ。
そう、思った。
まあ、そう難しく考えずともちょっと息抜きは必要だ。
「沈没者が息抜き?」(笑)
時を同じくしてKは3週間ほどマレーシアへ行くという。「Holiday of Holiday」だそうだ。
そう、それでいいじゃないか。
昨日のたこ焼きの売り上げは650バーツでした。
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たこ焼き屋休止中
おれがタイを離れて10日も保たず、Jはたこ焼き屋を閉めたらしい。いずれ保たなくなるだろうとは思っていたが、それにしても早い(笑)。
確かにひとりではきついだろうし、美容学校もある。売り上げ減がモティベーション低下の理由のようだが、なかなか下積みからはじめるという忍耐を強いるのは難しいようだ。
ただ、確かに市場全体が年末年始をはさんで低迷しているらしく、周囲の露店も次々閉店しているという。
いま、おれの中では、すっかりパタヤでの暮らしが現実感を失ってしまい、通信状態の悪い電話口からタイ語と英語のちゃんぽんでまくし立てるJのハナシもどこか遠い物語のように聞こえてしまう。
しかし、かといって南アジアの現実にも耽ることができず、どちらかというと呆然としている。
ただ、差異を確認するということは悪くないですね。それは、日本に限らず、タイであろうとインドであろうと…。そして、可笑しなことに自分のスタンスや態度、価値観までがその差異に合わせてビミョーに調整されていることにも気づく。
つまり、自分の一貫性や連続性なんてモノは、おれの場合、ヒジョーに疑わしいものとなってしまっているのだ。
かつては各コミュニティにおける自分の差異に苦しみ、その統合に苦心した。また、つじつまを合わせることに腐心したものだ。
が、いま、かつてここにいた自分の影と当時と同じおれを期待する旧友を前に、おれはかつてのおれでもなく、タイでのおれでもなく、日本でのおれでもなく存在する。
おれが呆然としている理由は、たぶん、それゆえなのだ。
そして、ここの連中もどこか「透明」になってしまったおれの扱いに戸惑っていることだろう。
それがいいことなのか、そして、もし、パタヤに戻ったら、やっぱり「タイのおれ」に戻るのか…今は良くわからない。パタヤに戻れるのか…それも良くわからない(笑)。
10年近い南アジアとわずか6ヶ月の沈没体験しか持たないタイでは、おれの本能的な反応がちがうことは容易に想像できる。まして、さっさとたこ焼き屋を閉めたJにも失望しているし…(笑)。
旧友たちが流れを作ってくれていることもあって、これからしばらく農村に沈没します。
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タイおんなに
おんなのココロとカラダはいつも一体で
余すところなく無防備なほどに満開なのだ
バネばかりが威勢の良い合板ベッドの上、古いアニメのシーツが隆起する
パステルカラーに包まれた褐色の雌鹿
おれの前には彼女のすべてがある
怖気づくココロを圧倒して
容赦なく彼女を押し開こうとおれのカラダは前進する
氷で希釈された麦酒が誘うあきらめとは、未分化の潤んだ抱擁である
おんなの時間は原始的なので
彼女の瞬間はいつも永遠へと連なっている
いつ終わるとも知れない化粧への集中力、変身を不変のものにする
ゴシップ記事のモデルを気取るポーズ
鏡の中に彼女のすべてはある
細分化された時間の陰から
その姿態を壊さぬようにおれは彼女の背中を抱き寄せる
鏡の中をけっして覗き込まないように、注意深くその黒髪に顔をうずめて…
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