瞬間の王
愛という名の瞬間の王がおれの中で(も)死んだ。
瞬間の王である「愛」は、知らなければ良かった「愛」でもあった。しかし、結局のところ、いまもって「愛」がなんであるかなどおれは知らないのだ。ただ、持久力なくして実現しない「なにか」は、きっと、「愛」ではない。それは「愛」とは別のものであり、なんらかの信仰や規範が支えるモラルに等しきものだ。それほど、瞬間の王のチカラは絶大で、ほとんど「死」と同義である。
その瞬間に「死」をもって応えられなかったおれには、モラルによる自縛を受け入れるか、もう一度、「退屈」へと回帰するかの二者択一が迫られる。
こうして、おれは回帰を選択した。
もちろん、モラルの自縛がもたらすのも「退屈」であり、そもそも人生とは「退屈」の別名であるわけだが、瞬間の王からの「生還」がもたらす回帰は、人生つまり、「退屈」の処し方を大きく変化させる。
「瞬間は永遠に連なっている」というのは真実でもあり、しかし、ただの慰めでもあった。「生還」はおれにこの真実の確認を迫る。「死」を突きつけながら。「死」という担保付きの真実を確認させられることで、慰めは不要となる。
一方、モラルを受け入れる選択には慰めとともに美しい連帯が待っている。
回帰せざる得なかったおれはひとり、ボソッとつぶやく
「それで?…これからおれはどうしたらいいんだ」
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母に捧ぐ
愛でもないものを「愛だ」といって譲らないヒトが多い。その認識は個人個人の勝手だが、とかく、愛はインタラクティブなものであるので、対象としてその愛に巻き込まれるおそれが誰にでもある。おれはそんなとき、途方に暮れる。しかし、おれになにができるというのだろう?
結局、おれが四十に手が届こうかという今日、初めて理解したのは、母のそれこそ、愛だということだった。母の愛は「瞬間の王」とは違う。しかし、ここにも留保がある。庇護から独占、そして喪失の恐怖を経て諦めに到達したとき、母の愛は「瞬間の王」からもうひとつの愛のカタチへと昇華したのだった。それはモラルが支える継続性とは異なる、ひとつの愛を巡る旅路なのだ。
なぜ、世の母がこの旅への可能性を秘めているのか、おれは知っている。
母の愛でさえ「瞬間の王」であることから始まる。つまり誕生である。そこには「死」が内包されている。母子は死を越えてくるのだ。
一方、男女の愛にあって「性交」は不可分なものである。エクスタシーは出産と同様、「死」を内包している。エクスタシーなくして愛という「瞬間の王」は目覚めない。このときから、母は次なる「瞬間の王」である出産への向かう。
予定された「死」へと。
母とは「死」から「死」へと渡り歩く宿命にある者の別名でもある。
女であることと母であることの隔たりは大きい。
母の愛を巡る「死」の旅路には「別離」「喪失」が約束されている。それが母愛を崇高なものにする。
だからこそ、母たちは決して「死ぬときも一緒」などという妄言は吐かない。
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雨が降り風が吹く
先週はやたら雨が降ったと思ったら、その後、風が強く吹いた。春一番なのかな。寒いけど(笑)。
駅に向かう道すがら、送電線がビュンビュン鳴っていた。
気を取り直して(?)部屋を掃除する。
ソファ・ベットをたたむとその下に桜の花びらが舞い込んでいた。こういう天気じゃ花もたいへんだなどと思う。
ありきたりだが、井伏鱒二の詩(なのか?)がよぎる。
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ
このフレーズ、もっとも美しい日本語のひとつだと思う。
近所の路地にて

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コンビニ…屋台?…誘蛾灯?
深夜、ぶらっと散歩に出る。
トーキョー、いや、日本から闇は駆逐されてしまったが、そんな夜の路上でもコンビニの白い蛍光灯の輝きはひときわ目立っている。しかし、日本人(アジア人)って蛍光灯好きだよな。おれは目がチカチカしてどうも嫌いだ。
ふと、深夜までどこぞで飯を食えるタイの路上、屋台のことを思う。あれはアジアでもその他の国ではなかなか得がたいものだ。そういえば、タイではコンビニも登場した頃はまるで屋台のようだった。氷でジュースやビールを冷やして軒先で売っていた。ソイ・ヌンのファミマでは今でもときどき、キャンペーンのように軒先に商品を並べて売り子が声を張り上げている。
考えてみれば、日本だって屋台の国だった。コンビニはそれに取って代わったのだろう。おでんも売ってりゃ、フランクフルトもある。今の日本ではコンビにこそ、屋台であり露天を代替しているのだ。
それにしてはどこか「やがて哀しい」カンジが漂いすぎているが…、なによりまず、明るすぎるせいだろう。あんなに明るい必要はない。まるで誘蛾灯だ。
そう、深夜にフラフラするおれのようなヤツはそれに誘われる夜行性の蛾。
今日も誘蛾灯に誘われて、巣から飛び出した蛾たちが集まっている。
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生業とJob
タイといえば屋台であり露店である(「オンナである」という展開は別の機会に譲る)。
そりゃ、ロクに就職もなく、あっても5,000バーツとかそんな給料でこき使われるんじゃ自分で何かやらざる得ない。わずかな期間だが、たこ焼きの露店をパタヤの市場で出していた。そんなにわか仕込みの素人屋台でも1,000バーツとか売り上げるのだ(しかも、夕方から夜9時頃までしか開けない)。
たこ焼き屋の場合、原価は6割程度。どうやら、タイのフツーの屋台や露店の原価はわりと高めのようだが、それでも4,000バーツ、5,000バーツの給料で朝から晩までこき使われるよりはいい。曲がりなりにも自分の店だし。だから、家族総出で路上で働く。
考えてみると、何から何まで企業が手を伸ばし、働くといったらどこかに所属することしか選択肢を見いだせない国の方が悲惨なのかも知れない。個人で「ちょっと店でもやってみるかぁ」なんてのが、とてつもなく敷居の高いことのように感じられる。そういえば、新宿駅東口の地下に名前は忘れたがビールやソーセージのうまい立ち飲み屋がある。いつも賑わっているが、この店はどうやらJRから立ち退きを迫られているらしい。存続のための署名を求める張り紙には「個人経営の店が山手線環内から消える!」とあった。
タイにあるような屋台や露店はいわゆる表の経済指標に現れない。そりゃそうだ。登録もなければ監査もない。税金なんて払ってない。でも、だから、どうだというのだろう。国家にとっては不幸なことかも知れないが、おれには国家なんてモノを代弁する気などさらさらない。
自分のモノでもないナニか奉仕するなんてあまりうれしいことじゃない。そんなことをしているとストレスが溜まるので、余暇だの癒しだのが必要になってくる。ありがたく頂戴した給金を体よく吸い上げられるわけだ。
願わくば生業といえるナニカに就きたい。「生業」…「なりわい」とも読む。Jobとはどこか違うのだ。
新宿駅

近所の商店街


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「靖国」というドキュメンタリ映画
映画館の上映自粛が相次いで、配給会社が公開中止を余儀なくされたという。
このニュースには、小さな小さな日本という島国を象徴するキーワードがちりばめられていて面白い。
まず、なんてったって「自粛」というのが笑える。それは「政治団体」を名乗る方々の圧力のゆえらしい。そして、配給会社の苦渋の記者会見。製作者の怒りのコメント。自閉的な小宇宙での一幕芝居…。まあ、作ったのは香港かどこかの外国人らしいが、そんなことはあまり問題じゃない。
話題にするのもばかばかしいとは思うのだが、あまりに笑えたので…。タイ王国や中華人民共和国、アメリカ合州国のことなどとても笑えたモノではない。
そして、おれもそんな空間に、日本人というレッテルを共有して生きているのだなあとしみじみ思う。靖国に象徴されるメンタリティも、靖国を擁護することもあげつらうことも、ついには「無視する」ことまでもが、ひとつの円環の中に収まることになってしまった。すべてがこの共同幻想のための妙な延命装置として機能している。
この映画もその上映中止にまつわる騒動もそんな役割を担ったプレーヤーたちのお芝居だった。
だって、もっととんでもない「危険」な映画がいくらでも観れるのだ。たとえば、最近、DVDで観たのだが、ミヒャエル・ハネケなんてヒトの映画はヤバイでしょ。「日本」にまつわる映画をつくるヒトもハネケや、せめてイラン映画の知恵を学んで欲しいものだと思うのだった。
政経バナシは無視が基本なのですが、映画バナシということで。
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予約投稿という技
FC2ブログでは予約投稿という技が使えることを知った。事前に書いた内容を期日を指定してブログにアップできるのだ。
自宅にネットを引いていない身としては、なかなか重宝である。
どうにもここに居続ける自信が持てず、ネットの申し込みも逡巡していた。しかし、今朝の目覚めはちょっとこれまでと違った。
このところ、2日くらい起きていて長めにまとめて寝るという生活が続いていた。そして、昼夜は逆転し、一回転、二回転して今日は正しい時間に起きたのだが、このアパートで初めてさわやかに目覚めた(ような気がする)。まだまだ寒いが、南向きの窓を開けると日射しには確かにぬくもりが感じられる。
それにしても熱を発するモノが人間から機械からやたらあるのに、こんなに寒い。すごいことだ。ホントに温暖化しているのだろうかなどと思う。まあ、確かに20年前、30年前はもっと寒かったかも知れない。ま、いいや。
そろそろネットでも申し込んでみるか。
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Google Adsense報告
10月後半からはじめたこのブログ。ご覧のとおり、アドセンスの広告を貼っている。
アドセンスは、それぞれのサイトのカラーに合わせて勝手に広告を貼ってくれる。気に入らない広告の場合は、フィルタをかければ表示されなくなる。おれは貸金業者の広告が出るとフィルタに入れる。
アドセンスは「クリック課金」というヤツだそうで、誰かが広告をクリックして覗いてくれるたびに、いくばくかの金がもらえるらしいのだが、それがついに100ドルになったらしい。支払いは100ドル単位だ。
現在、PIN送信とかなんとかで支払いは留保されているのだが、ブログを書いていることでお金になるというのも不思議なものだ。
「ネットで副収入」とか、そんなんがやたらあるし、みな、サイトやブログにいろいろと広告を貼り付けている。しかし、実際、それでどの程度金になっているのだろう?
いろいろなブログを読んでも、そんなことはだれも教えてくれない。
おれも広告を貼っているそんな連中のひとりではあるのだが、これが初めての収入である。んで、報告してみたまでだ。
クリックを強要しているわけではないので悪しからず(笑)。なお、映画や本の紹介もやたら並べてますが、別に買ってくれといってるワケじゃありません。こちらも悪しからず。たんなる趣味の開示です。
ところで、ネット・ビジネスの実態ってのもちょっと興味深いものがある。
先日、フリーの編集業で喰っている友人と会った。かれは旅行ガイドの編集をしているのだが、副業はなんとヤフオクだという。その彼にいわせると、「6ヶ月で100ドル。悪くないじゃん」だそうだ。「100個、サイトを作れば10,000ドルだよ」。
「おいおい、ひとつで精一杯なのにどうやって100もやるんだよ?」
にやにや笑って、それには答えてくれなかった。どうやら、ネットで稼ぐというのはそういうことでもあるらしい。
「パタヤに住み続けたいなら、がんばればヤフオクとアフィリエイトで食えるよ」などと簡単にいう。
そんな生活を想像してみる。
ヤフオクで売るマニアックなアイテムを日々さまよって探し歩き、入金確認と郵便局通い。そして、大量のダミーサイト運営…とてもおれにはできそうにない(笑)。
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オリジン弁当
おれは結婚生活の一時期、主夫だった。道楽に時を費やしたくて、そんなおれに譲歩案として出してきた妻の条件がそれだったのだ。毎日、掃除洗濯炊事に買い物。妻に持たす弁当まで作っていたこともある(笑)。
それはそれで悪い生活ではなかった。
そんなある日のこと、道楽の方が忙しく晩飯を作る時間がなくて、帰りがけにオリジン弁当でお総菜を買った。そして、愕然とした。「まずい!」。
以前に書いたが、かつて、おれはこだわりの人だったので(?)、みそ汁だって鰹節を削るところからはじめていたくらいなのだ。そんなおれにオリジン弁当のお総菜はとても食えなかった。
しかし、先日、深夜に小腹が空いて、つい、おそるおそるオリジン弁当に立ち寄ってしまった。竜田揚げの弁当399円也。
「うまい!」(笑)。
いまのおれにはなんでもうまい。人間の五感なんていい加減なもんだ。
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パタヤ・バンコク・ホスピタル向かいのタラート(市場)では
スクムビット通りを挟んで、パタヤ・バンコク・ホスピタルの向かいには、毎週、月火水に開く大きなタラート(市場)がある。いつの頃からかわからないが、どうやら、その市場の中にたこ焼き屋ができたらしい。
昨日、Jが市場に出掛けて発見したそうだ。
色の白いかわいい女性がやっているらしい。
日本語の小さなのぼりも立っていて、もしかしたら、だれか、日本人が関係しているのかも知れない。
1パック5個入りで25バーツ。
Jによると、けっこういけるらしい。テパシットのウィークエンド・マーケットのたこ焼きがかなりタイ風にアレンジされた「ナンチャッテ」だとすると、こちらはかなり日本風に近いという。
ああ、なんか懐かしい。
思い返してみれば、たこ焼き屋いてた頃が一番楽しかったかもナぁ。市場で働く人たちってのは、見栄もハッタリもなく、いい加減だけど元気でシンプルな人たちだ。もちろん、鵜の目鷹の目で、足の引っ張り合いも演じていて、渦中に呑み込まれれば付き合ってられないと思う。
しかし、東京にいるとなにやら閉塞した気分になってくることが多いのは、いったいどうしたわけだろう(笑)。
どうも、この新しいたこ焼き屋、気になる。
どなたかパタヤに行ったら、食ってみてください。
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ホームレス
かつてインドに住んでいたときのこと。100チャンネルもあるケーブルテレビをぱちぱちとやっていたら、どこかの国のニュース番組で日本のホームレスのドキュメントをやっていた。
インタビューを受けている青年はフリースを来てそれなりのフツー人だった。かれはハナシを終えると、身をかがめて靴を脱ぎ、すぐ後ろにある段ボールハウスに入っていった。中から顔を出し、そっと靴まで揃え、「それでは」とかなんとかいってスライドするダンボールのドアを閉めた。
いま、最寄りの駅から我がアパートの方に伸びる商店街にも夜になると点々と閉まったシャッターの前に段ボールが組まれている。
なにより、「寒いだろうなあ」と思う。
なんとか、航空券代をかき集めて、タイにでも行ったら快適なのになどと思う自分を笑う。でも、バンコクは辛そうだけど、パタヤあたりのローカル・タウンなら、ヒトも優しい。食い物も豊富だし、じゅうぶん生きていけそうな気がするのだ。
ところで、ホームレスのヒトだけが売ることができて、その人の再起を支援することも目的としている「ビッグ・イシュー」という雑誌、ご存じですか?
なんでも、イギリスで発刊された雑誌で日本でも大阪で始まって、数年前からトーキョーでも新宿や池袋でホームレスのヒトたちが売るようになった。コンセプトはなかなか野心的だと思う。しかし、哀しいことに雑誌そのものがとてもつまらないのだ。あれじゃ売れない(笑)。少なくともおれは買う気にならない。
せっかく、ホームレスが売るのなら、そのことに意味を見出した編集方針で、時代に切り込む記事を掲載して欲しいと思うものだが、マーケットに媚びた紹介記事とこれまた善意に媚びる社会批評で埋め尽くされている。おれがホームレスならあんな雑誌を手には持ちたくない。
猫のダンボールハウス

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バーツと円
「はい、1,000バーツ」なんていわれると、「ああ、1,000バーツね」なんて軽く思う。
バーツという単位に染まっているなら、そのままの受け止め方は正しい金銭感覚として生活感を伴うのだろう。しかし、どうにも越境し切れていない金銭感覚での「1,000バーツ」は、つい、1,000円のような雑な感覚で受け止めてしまう。「あらま、安いな」と。しかし、それは3,300円のことなのだ。
そこそこけっこうな金額である。
日本でも、今の俺の生活レベルで考えるといろんなことができる。
短期でパッと遊びに来るのなら、「1,000バーツ=1,000円」くらいの威勢の良さでいたら気持ちいいだろう。それにきっとタイ人の受けもいい。
でも、ある程度、まとまった期間いるとこれで痛い目にも遭う。
振り返ってみると、「無駄な金使ったなあ」と思うのだ。
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美容院のハナシ
おれが日本に戻る直前、Jはソイ・ユメの美容院からソイ・ヌンパブワンのうちの近所に職場を移った。以前からJもおれも通っていた美容院で、イラク人(!)のだんなを持つオーナー女性は美容師でもなんでもなく、別の街に住み、店を任された妊娠中のAが店を仕切っている。
彼女がなかなか好人物で、Jが美容学校に通っているころから、いろいろ相談に乗ってくれていた。ある日、求人広告が貼り出されていたのを見て、JはAに早速相談、店を移ることにした。
前の店は下手くそなJの失敗を恐れて、雑用とアシスト以外、何もさせてくれなかったらしいが、この店ではカット以外は普通にいろいろさせてもらえて、それなりに楽しいらしい(だいたい、カットの客というのはすごく少ないようだ)。
店はシャンプー&ブローが35バーツと格安の部類に入る。ソイ・ヌンには最安店で28バーツなんてところもある。だから、シャンプー&ブローの客が多い。
3階建てタウンハウスである店の家賃は12,000バーツ。店舗は一階部分だけで、2階3階はスタッフの居住スペース兼物置になっているらしい。
この家賃も含めて、Aの取り分は40%。しかし、どう見ても一日平均1,000バーツの売り上げがあるとは思えないので、Aの取り分はとても1万バーツには及ばないのではないだろうか?
もちろん、それはオーナーにしても同様で、1年前から営業しているこの店にいったいいくら投資したのか知らないが、それほど割のいいものとも思えない。
実際、今日は客が多いなとJが感じる日に客が支払った金額を足してみる900バーツ前後だったという。
Aは60歳にもなりそうな、タイ男性の妾である。なんでも4番目の「妻」ということらしい。男性は別にイスラムではない、念のため(笑)。腹の子もそのオトコの子らしい。
彼はパブやら宝石店やら、店をいろいろ持っていてそれなりに成功しているらしが、Aは数千バーツの金をもらうにもけっこう苦労しているそうだ。
それでも、彼はAに「こどもが生まれたら、今のオーナーに交渉して、店を買い取ってやる」と約束しているらしが…、「まあ、怪しいもんだ」というのが、Jの率直な感想であるらしい。
これはすべてJからの又聞きだが、いずれにしても、彼女が誰かヒトのことをいろいろ知り、おれに話してくれるのは、相手にそれなりの愛着があるときである。
彼女の話を聴きながら、今度は少し、長続きするかななどと思うのだった。
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美容院のハナシ・その2
Jが働く美容院に最近、イサーンから15歳の少女が住み込みにやってきた。なんでも、飛び込みで母親に連れられて、母はそのまま、彼女をおいて帰っていった。
母親には息子3人、娘1人いて、イサーンで美容院をやっているらしい。男子には教育を与えるが、女子は小学校くらいでじゅうぶんという発想らしく、息子たちは大学に通ったり専門学校を出ていたりするらしいのだが、15歳の娘は中卒でいわば、奉公に出された。
しかも、彼女のいうところでは、「美容院の住み込みに飽きたら、バービアにでも働きに出て、ファランの男を捕まえてきなさい」という母親であるらしい。
Jが彼女に「バービアってどんなところだか知ってるの?」と訊くと、当然!というような顔をして、「キレイにお化粧して、ガールフレンドを捜しに来るファランを待つんでしょ。気に入られたら、その人の恋人になるのよ」と答えたらしい。
もちろん、母親はバービアがどんなところなのか知っているのだろう。彼女によれば、実家の近所にはファランを掴まえたオネーサンたちが立派な家を新築したり車を買ったりしているという。そして、そんな光景を横目に母親は娘に「あんたもファランのだんなを掴まえるまで、帰って来なさんな」といったらしい。ギャグみたいなハナシだが、母親はきっと本気なのだ。
Jの精神年齢に合っているのかも知れないが、どうも、Jは彼女が不憫に思えるらしく、姉貴面してけっこう可愛がっているようだ。
まったく、パタヤってやつは…。
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直球勝負
タイ語もできず学ばず、わずか1年弱、パタヤに沈没しただけでタイやタイ人を語ろうなんて思い上がりはまったくないが、タイ人についてひとつだけ確信していることがある。
それは、「タイ人はほとんど直球勝負」ということだ。
野球マニアではないが、おれは野茂と同年代で、フォークと直球だけで今も勝負し続ける野茂が好きだ(なんのハナシだ・笑)。
もちろん、おれも人生の持ち球はほとんど直球しかない。
だから、直球勝負の人が好きである。
だから、なんやかんや文句を言いつつも、タイやタイ人が好きなのだといまさらながらに思う。
おれの見聞に限定して見ると、コン・タイとジャマイカンは総じて直球勝負のヒトが多かったように思う。ただ、黒人とアジア人の体力というか生命力の差か、ジャマイカンの直球勝負はまともに受け止めているとだんだんこちらがへばってくる。
ソンクラーンでは死人がたくさん出るのも、裏切られると恋人のナニを切り取っちゃうのも、みな、コン・トロンパイ(そんな言い方が正しいのか知らないが、「直進のヒト」ってことで)だからこそ、なせる業だと思うのだ。
もちろん、極端な例だし、好きだといって、そんなんに巻き込まれるのはゴメンだが…。
一方、「おまえら、クセ球ばっか投げやがって」という連中も多い。
たとえば、近いところでいえば、フィリピン人。クセ球がメタメタ多い。英語が準母国語と化していることもあってか、ちょっとした層の連中はいろいろなところにしゃしゃり出てくる。そのくせ、シンガポリアンとか香港人のような洗練や計算高さ、はしっこさに欠ける。
ただ、クセ球が得意なだけの胡散臭いヤツが多い。
ビルマ人、部族にもよるのだろうが、彼らの多くがフレンドリーで温厚でつつましい。しかし、やっぱり国家体制がいびつな抑圧機構と化しているせいか、どこか人の顔色を伺うような雰囲気が染み付いている。本来、ビルマといえば、シャムをも怖れさせた大国であったはずなのに…。
彼らに非はないのだが、妙に哀しい気分にさせられることが多い。
インド系の連中、「もちろん、勝負は直球でしょ」って髭でもいじくりながらしたり顔で言うくせに、当然のように前言を翻し、変化球を投げてくる。そして、「それもスポーツの世界では駆け引きってヤツですよね」などという理屈をこねたりして悦に入るのだ。
それでも、変化球そのものがへなちょこなところがご愛嬌だが、ときどきうんざりさせられる。
これが、アラブ系になるとプロセスは似ているが、変化球もものすごかったりするので、あっけに取られることがある(笑)。
ただ、かの地には、まったく、「直球以外、知りません」という人もいる。真剣に直球以外、その存在も知らない。堂々と信念を持って直球を投げ込んでくる手合いが実は一番手ごわい。
いずれにしても、ここらでは私生活もある種、ポリティカルな場である。それを楽しめばいいのだが、いつもいつもそういうわけにもいかない。
なあんて、つい、ひとり、昼下がりの妄想に耽ってました。
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もうすぐソンクラーン
めずらしく、パタヤに沈没しているウェールズ人のKからメールが来た。
「ソンクラーンだぞ、来ないのか」と(笑)。
どうやらパタヤは19日らしい。
しかしねえ、ソンクラーン…しっとりとした田舎のそれなら、情緒があっていいかもしれないが(Jの田舎、スコータイでは、お寺に集まった年配者に敬意を込めて人々が水をかけて回るそうだ)、バンコクやパタヤのそれは、ただのバカ騒ぎ。いい歳したおれには一度でじゅうぶんなのだが、おれより年上のKは、でかい水鉄砲まで買って準備万端らしい。
パタヤ在住外国人は「ソンクラーンには海外脱出」っていうのが多いらしいが、まあ、ノリノリで楽しめてしまうKの無邪気さもうらやましいといえばうらやましい。
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エキゾチック
ところでわりとクール系のKだが、新しいオンナとの2ショットまでメールに添付してきた。
「おぉ、前のより断然いいじゃんか!」と思う。
前は「やっぱりファランの趣味はよくわからん」と確認するにじゅうぶんだった(?)が、教師時代の同僚というわり写真の中でKに寄り添うその娘は教師然としていなくていい。色は黒めだし、細身で濃い系の顔だ。きっとイサーンだろう。
Jはカエル系なのだが(そういうとすごく怒るけど)、JにしてもKの新しい彼女にしても、こういうオンナは日本にいないよなぁとつくづく思う。
なんで、おれは、色白で身だしなみがよくて行儀や礼儀をわきまえている(はずの)女性に惚れることができず、褐色でやんちゃで生意気でだらしなくてわがままなオンナばかりに心惹かれるのだろうか?
まあ、おれにとってはそれが「エキゾチック」ってことなのかな(笑)。やっぱ、外見に限らず、内面においても、オンナはエキゾチックでないとね。
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食料品価格に思うこと
パタヤ、ソイ・ヌンパブワンのローカル・マーケットでは、これまで1パック5バーツだったご飯が、6バーツになったという。20%もの値上がりである。
なんでも、お惣菜や食堂のメニューの価格も一部で上がっているということだ。
ハイチやバングラデシュでも食料価格高騰が原因で暴動が起こったりしている。村上龍のJMMの今週の質問も食料価格に関することでなかなか興味深い回答が多かった(相変わらずばかばかしい空論も多いが・笑)。
長いこと、バングラデシュをはじめとする南アジアで暮らしてきたが、かの国々では一夜にしてモノの価格が2倍になったり、また、元に戻ったりすることなどざらだ。それだけ、供給も不安定なわけで、スーパーなどでも、どっと新商品が入荷して、売り切れたらもう、「そのブランドは手に入りません」なんてのも当たり前。
日本でも、小麦の卸売価格が30%も上がったとか、米まで上がるのではという憶測もあるようだが、ニュースをなどを見ずに商店街に行けば、相変わらずパンは1斤100円で売っているし、米は5キロで1600円くらいからちゃんとある。
経済は複雑化しているだろうから、いろいろな要因があり、目に見えないところで価格操作や価格に関する攻防があるのだろうが、日本の現状など、目先の価格変動に一喜一憂して騒ぐほどのものではないと思う。だいたい、支出に占める食費の割合など、他国に較べたら著しく低いのだ。
資源のない日本。その恒常性に対する人々の不安は常に煽られているが、その辺の国々に較べれば、市井の生活はかなり揺るぎない安定性を持っている。
その潜在力を生かして、もっと構造的な転換を図っておかないとヤバイことがたくさんあるような気もするのだが、あえて、メディアに目を背けられているのか。それとも、みな、本当にお菓子が同価格で内容量が減ったり、コーヒーにつくモーニング・サービスの内容の方が重大なのだろうか?
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心意気
うちの近所にお惣菜屋がある。
パタヤ・ソイ・ヌンパブワンのカラバーオ食堂とまではいかないが、なかなかバラック度の高い(日本風に言うならあばら家風情の)住宅の一階にあって、父ちゃん母ちゃんと思しき夫婦のほかにも2人くらいおばちゃんがてきぱきと働いている。
店の道路向かいにはオリジン弁当が進出してきているのもなんのその、なかなか繁盛している。
というのも、何より安い。
たとえば、おにぎりは100円である。コンビニの工業製品のようなおにぎりではない。手のぬくもりのあるおにぎりだ。まるで、幼き頃、ばあちゃんが握ってくれたおにぎりのような味がする。
値段もさることながら、そう、お惣菜も弁当も洗練されたものというより、懐かしい味がする。
「オリジン弁当もうまい」と思ったおれでも、まだこのくらいの違いはわかる。
ときどき、こういう店が東京のそこかしこに残っている。
そして、東京、いや、日本だけじゃなくても、さまざまなものが均質化される中、世界中にこういうあくまで庶民的なこだわり、つまり「安くて親しみやすくて旨い」に徹した店が、色濃い地域性を伴って生き残っている。
その共通性って、不思議だ。
国境や民族などといった区分けがいわば、垂直の境界線を持つ一方で、こんな共通性ってのは水平的な広がりを持っている。
たとえば、パタヤ・ソイ・ヌンパブワンの通称カラバーオ食堂。
考えてみると、あれもかなり凝っている。カラバーオが焼く鶏の串焼きや魚はバナナの葉に並べられている。湯気の上がる熱々のご飯は竹編みのかごに上げられ、ソムタム用のパパイヤが素焼きのかめの中で水に浮いている。
Jはよく「この店はイサーンのごくフツーの食堂の雰囲気なのよ。ぜったい彼らはこのスタイルにこだわってる」といっていた。
そして、なにより安い。
また、J曰く「華僑系の血が流れる家の店に、このおおらかさ(いい加減さ)はない」と。確かにお勘定のときの皿の枚数で合計金額を指折り数えるカラバーオやアムウェイ・おばちゃんを見てると「ホントに儲けようって気あるのかな?」と思わされたものだ。
彼らのような店が持っているモティベーションは「金儲け」ではないのかも知れない。
「ボーダー」という漫画に、主人公たちが通う安食堂のオヤジが、「おれの目の黒いうちは、貧乏で腹を空かせてる連中にしか食わせないぞ!」と啖呵を切るハナシがある。
あざといエピソードだし、実際にお惣菜屋の父ちゃんやカラバーオはこんなバタ臭い台詞は吐かないだろう。
でも、きっと、そんな台詞に通じる「心意気」みたいなものをおれは勝手に感じる。
おれは自分のわがままで貧乏しているわけだが、まあ、そのわがままも心意気ってことにしてもらえるならば、彼らの店で飯を食う資格はじゅうぶんにあるかなと思うのだ。
考えてみると、同胞なんて言葉は垂直に仕切られた「同族」に対するものではなくて、水平に広がる「心意気」でくくられる者同士にこそふさわしいような気がする。
もちろん、彼らはこんな能書きなどコかないのも事実である。
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2008年
2008年の日本で「われわれ」なんて言わないでくれ
それは混沌かから屹立する硬く尖った時代の人称代名詞
2008年の路上に「われわれ」は立ち上がらない
2008年のアジアでも「われわれ」なんて言わない
混沌までが秩序の番人に成り下がっている時代
2008年の延命装置を切る「われわれ」は誰もいない
2008年の演説に「われわれ」という人称代名詞を禁止せよ
おまえの演説に耳傾けるのは
意思など持たぬ疎外されたエゴイストばかりなのだ
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藪の中(美容院編)
数日前に紹介したJが働く美容院に住み込む15歳の少女。
http://pattayadiary.blog123.fc2.com/blog-entry-208.html仮にTとしておこう。彼女は店を切り盛りするAと折り合いが悪く、Aに言わせればTは堪え性がなくわがままということになる。Jにはそれほどでもないようで、TがAとぶつかるたびに、影で励ましていたらしい。
Tは15歳だが、すでにカラダを売ったことがあるという。地元で処女を3500バーツで売ったらしい。Tによればそれも母親の差し金なのだ。そのために不妊施術までされたという。Tの語る母親の言動はとても血を分けた者のそれとは思えないが、そうは言いつつも、母親とは電話で話すこともあるらしいT。折り合いの悪いAとぶつかり、ある夜、Jに泣きついてきた。
「どうしても辛ければ、どこか住み込みで働けそうなところを探してあげる」といったJの言葉を拡大して、母親に「6,000バーツの給料で住み込めるところを見つけた」と報告し、Jの電話番号まで教えたそうだ。
母親がJに電話をかけてきた。
お礼と称しつつ、それとなくJのことを訊く。日本人の男がいるというJに、「じゃあ、家とか車とかいろいろ買ってもらってるんでしょう」なんて失言(?)にむっとしたJが、Tから聴いた母親の言動と仕打ちを伝えると、涙ながらに否定して、「あの娘は親がどんなに機会を提供しようとしても、拒絶し、ひとり、飛び出しては好き勝手をしてきた」と言うらしい。
「一緒に暮らして店を引き継いで欲しいのに(母は地元で美容院をやっているそうだ)、どうしても嫌がるからパタヤで住み込みさせてくれるところを捜したのだ」とかなんとか。3人の息子だって大学を出て警察官やら弁護士やらどこぞの大企業の社員やらと吹くこと吹くこと…。
訳がわからなくなったJがTに電話して詰問すると逆切れされたらしい。
翌朝、出勤してみると、Aが少し安堵した表情で、「昨夜遅く、親戚だという人が引き取りに来て出て行った」という。なんでも、ファランとくっついて、ファランのだんな、両親とパタヤ郊外のリゾート住宅地で暮らす従姉妹が引き取りに来たそうだ。
母娘、TとAの間に立って右往左往したJにも、いったい誰がホントのことを言っているのかさっぱりわからない。まして、わけのわからない英語とタイ語のちゃんぽんで興奮気味に説明されたおれにはさらに訳がわからない。
物語にでも出てくるようなとんでもない家族ってのが、実際に存在するんだろうということだけは、なんとなく想像できる。こうして書いてみたものの、さっぱり要領を得ない(笑・すみません)。
まあ、母親も娘もそして従姉妹ってのも、とにかく、誰もすべて本当のことを言っていないのだろう。別に「常にすべて本当のことを言え」とは思わないけど、口裏くらい合わせるとか、つじつまの合うように気を配るくらいはして欲しい。
じゃないと、単純なJは煙に巻かれ、おれは訳のわからないハナシを長々と電話でされる羽目になる。電話代だって安くはないのだ(笑)。
最初、Jは、Tに冷たく当たるAを非難していたが、結局、Aの方が世知に長けているってことなのだろう。おれに言えたのは、「もう、連中について考えるな。時間の無駄だ」ってことだけだった。
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今を生きる
おしつけがましいハリウッド映画のことではない。
おれは「今を生きる」ということがどういうことなのか、これまでのタイ暮らしで実感した。
もっといえば、Jとの暮らしで思い知らされた。「あぁ、こういうことなのか」と(笑)。
Jには基本的に計画というものは、ない。
あっても、それは漠然としていて、夢とか、淡い期待とほとんど変わらない。それが、日常的なこと、具体的に詰めていくことが可能な次元にあることでも、計画と呼べるようなスガタ・カタチは立ち現れてこないのだ。
たとえば、Jの実家に行くことになった。
「行こう」ということは明らかなのだが、5W1Hのようなものはない。だから、突然、「今日行こうか?」ということになる。
しかし、ご飯を食べたり、持って行く服を選んだり、母親に電話したりしているうちに時間はどんどん過ぎていく。まだまだ、シャワーを浴びたり、メイクをしたり、着る服だって選ばなければならない。「今日実家に向けて出発する」ことに重点があることは確かだが、それ以上に「今、していること」に全力投球してしまうのだ。
そのうち、何か楽しいことでも思いついたりしたら、もう、その日は行けなくなる(笑)。たとえば、服を選んでるときに、「ああ、この服着てどこそこに行ったなぁ」なんて思っているうちに、そこ、たとえば、ディスコに行きたくなったりする。それは、思いつきに過ぎないが、実現したっていいわけだ。
友人の誰かから電話がかかってきて、「どこそこに行こうよ」なんて誘いだったりすると、そちらに気をとられてしまうのはごく、フツーのことである。
前回は結局、レンタカーで行った。バスだと、チケットを事前に買って、バスの時間に合わせて出発するという「計画」(制約)があるが、レンタカーだとさらに気が緩んで、出掛けるまでは大変だった。
しかし、いざ、出掛けると身は軽い。そして、ハプニングにも強い。
そりゃ、当たり前かもしれない。地図も持たず、道も調べず、ただ走り出すだけなのだから(笑)。
じつは、おれ自身がこと、旅とか旅行に関しては完全に無計画型なのでさらに始末が悪い。
時間は流れ、意識も流れる。意識は一定ではない。おれたちは、意識の流れを制御して、予定や計画を優先するが、彼女には、特にそうしなければならない理由はない。もちろん、おれたちにもないといえば、それもありだが…。
たとえば、おれの帰国日。
「どこそこに行って、なに買って、ナニもして、なに食べて…」なんて、できっこない漠然とした計画を立てている。それは計画ではなくて、こどもの夢と同じなのだ。あるいは思い付きを並べているだけのようなものだ。だから、実現しなくても「マイ・ペン・ライ」で済む。執着しない。
もちろん、そんな「計画」は消化しきれないから、途中で残りは放棄しておれはばたばたと出掛けることになる(そんな彼女を予期しているから、おれの荷物は、前夜、彼女の寝ているうちにまとまっているのだ・笑)。
かといって、事前から「あと何日あるから」なんてことは考えない。
人生とはまさしく「今」のことである。「今」なくして過去もなく、未来もない。「今に生きる」ことができなければ、人生そのものが怪しくなってくる。
まさしく、「今を生きている」Jは、だから、その思いつきとどたばたに疲れたりしても、そのことに関しては泣き言など決して言わない。そもそも、そのことに疑問がないのだから当たり前か(笑)。失敗したり、求めたものが手に入らなくてもたいして恨みがましくもない。ハプニングが起こっても、そもそもがハプニングの連続のような毎日だから、当たり前のようにそれを消化する。
なんだか、こうして書いているとちょっと足りないか、アブナイ人のようにも映るが、そんなことはない。
ある意味、すばらしく健全であるような気もする。
それに比べると、おれは計画性と無計画性の狭間を揺れ動いて、時にくよくとしたりしている。
しかし、これはタイ人一般に当てはまることなのかどうかは知らない。その傾向は大いにあると思うが…。一方で、祭りやイベントが得意なタイ人だが、催事には仕切りやプロデュース、調整が欠かせないはずだ。そんな、不可欠な役割は「今を生きる」だけじゃ務まらない。
そんな相反することを実現させているところが、タイ人のすごいところなのかもしれない。
だって、あんな無秩序と混沌のきわみのようなパタヤのソンクラーンで、別にたいした騒動は持ち上がらない。路上を占有し、個々人は狂乱を演じながら、全体としてある種の宥和と秩序が保たれている。
バービアという閉鎖的な小宇宙で、ソンクラーンごっこのアナーキーを演じて悦に入るファランの大多数は、18日のナクルアの路上にも19日のパタヤ路上にもあまり出てこない。
ソンクラーンは、ある種の周年的な「ええじゃねえか」だと思うが、アナーキズムを思想として生んだはずのファランが、生活レベルにある本源的で官能的なアナーキーの場に躍り出れないのがおれにはとても印象的だった。
そして、「ええじゃねえか」の本場(?)・日本で祭りがことごとく形骸化し、観光資源化してしまっている一方で、タイには時代を反映して変化しながら祭りが生き残っているのは、「今を生きる」度の差によるのかも知れないと、思ったりするのだった。
なんと、Jの田舎、スコータイ郊外のお寺でも、ソンクラーンの催しにコヨーテ・ダンスまで登場したそうです(笑)。Jの母親が、Jに電話で「コヨーテが…」といっていたらしい。
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ボヘミア的生活
まったく珍しい友人が久しぶりに東京にやってきた。
ヤツとはとある山小屋で働いていたころからの腐れ縁だ。もう10年以上前から、ヤツはシーズンを山小屋で過ごし(GW前から11月の上旬まで実質7ヶ月半)、その後、3ヶ月は失業保険を得ながらブラブラ国内を旅し、残りの期間は海外旅行に出る生活をしている。一時はそんな夫婦生活もしていた(笑)。
山小屋やスキー場などの期間労働は、いわば飯場暮らしのようなもの、3食寝床つきで隔絶された世界に隔離されるから一定の金が貯まる、しかも、自然要因によって労働期間が限定されるので、下山後、失業保険が最低期間(3ヶ月)もらえるなど、ボヘミア的生活者にはうってつけの職業だ。
しかし、ヤツが言うには、かつては小屋番という呼び方がふさわしかった山小屋暮らしも、小屋そのものがホテルのようになり、付加価値をつけたサービス提供を余儀なくされて様変わりしているようだ。
「最近はホテルの従業員のような気分だよ。だいたい、登山客もわけのわからん連中が多くなった」と。
「だが、そんな人たちにせっせと通ってもらわにゃ、おれたちの生活も成り立たない」。
ところで、山に戻るため、ちょうど海外から戻ってきた彼がスワンナプーム空港で、胸に日の丸をつけた迷彩服やえんじのつなぎを着た日本人の集団を見たという。
「なんだ、自衛隊か?」とおれ。
「いや、それにしてはしまりのない顔をした連中だった」とヤツ。
どっかで災害でもあったのだろうか。でも緊急援助隊は迷彩服など着ないだろう。
「気になるなら、なんで、『ご公務ですか?』とか訊かなかったんだ?」
「まあ、なんか気味悪くて…」
はたして、どっかの脳みそ筋肉な国々ならいざ知らず、わざわざ日の丸背負った迷彩服で国際線の民間機にご公務の連中を乗せるのだろうか?(まあ、ほんとに公務なのか怪しいけど)
示威行為なら、おれの友人のようなボヘミアンにも『しまりのない顔をした連中」と言われてしまうようでは、かえって逆効果だし(笑)。
今朝、ヤツは『来週から雪下ろしだ」といって東京を去った。
ヤツのような男は、一度、別れると次はいつ会えるかわからない(笑)。
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スーツを買いにいく
なんのかんのと理由はつけたものの、帰国は金の問題によるところが大きい。
以前から、預金がある金額を下回ったら、仕切り直しをしようと決めていた。だから、昨年の10月に一時帰国してアパートを借りておいたのだ。
しかし、そのときは日本で部屋を借りるってのは大変なことだと痛感した。沈没帰りのおれは、いわば、住所不定なわけで、しかも無職、両親は老齢なので保証人だってないも同然。そして、ちょっと気の利いた部屋は、敷金礼金に仲介料で5か月分くらいの家賃が必要になる。
一度、ホームレスになったらなかなか復帰できないのも無理はない。おれがいま、通っている3時間620円のネカフェには、深夜になるとたくさんの人が寝に来ていて、いつも満席である。
まあ、とにかく、預金残高が帰国して仕切り直しの設定金額になるのは、思いのほか、早かった(笑)。タイはそれだけ、心の弱いおれのような男の財布の紐を緩めるのに長けているのだろう。
そして、帰国後1ヶ月、なんか変な言い方だが、おれはよくよく自分を観察してみた。四六時中、自分と一緒いようと努力した。当たり前かもしれないが、いつもいつも自分といなければならないというのは、思いのほか疲れるものだ。
そんな自家中毒にも似た状態には、恋愛やらスポーツ、音楽、そして、サッカー観戦とハードボイルド小説がいい(笑)。もちろん、仕事ってのもいいだろう(笑)。
が、意識的にこれらから遠ざかって暮らしてみた。
その結果、「まだだめかな」という感触を得た。
おれはこの10年以上、2年ほど働いて金を貯めては、1,2年かけて自己満足な自主制作映画をつくるというサイクルの暮らしを続けてきた。本来、このサイクルでいくと、いまは「なにかをつくる」時期にあたる。しかし、観察の結果は芳しくないのだ(笑)。とてもなにかつくれるとは思えない。
というか、もう、かつてのようなモティベーションで「なにかをつくる」のは無理なようなのだ。かつて、おれの動機は「毒を吐く」ことにあった。毒を吐くのは怒りや不満が鬱積しているからであり、その表出はいうなれば、「力技」だったわけだが、もう、勢いだけでなにかをするのには限界も感じるのだった。それに、どうしたってロクなものができない。
ならば、金も心もとないし、少し働いてみるのもいいかなどと柄にもないことも考えている。一方的に働きたいといったって、おれの職能を買ってくれるところがなければお話にならない。売込みにはなんてったってスーツだ。
何事もカタチが大切である(笑)。ということで、スーツを買いに行った。
短絡的で衝動的な話だが、おれは「もう背広ヤローはしない!」などと放言して、昨年、スーツをことごとく捨ててしまっていたのだった。
そう、すべてにおいて、力技や衝動的な瞬発力だけに頼って行動するのはやめるのだ。瞬発力は大切だが、それですべてを片付けるのは無理だと今頃、気づいている。
不惑の歳をまたぐにあたって、おれのテーマは持久力をつけることなのかもしれない。
まあ、それも自律的な自立への一歩だろう。
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おんぶに抱っこに肩車
何が驚いたって、日本のラップには驚いた。
ピッッと広がって、スパッと切れて、ピタッと目的の物を包み込む。松田優作ならゼッタイ、「なんじゃ、こりゃぁ!」(古いか)っていうと思う(笑)。
一念奮起して、規則正しい生活を目指してみようかと思っている。
んで、いろいろ食材を買った。仕分けして冷凍庫なんぞにストックする。ラップが凄すぎて、ちょっとビビッたが、そのくらいで気後れしてはいけない。
ストックしただけで満足している場合ではないのだ。
それにしても、日本の商品はどうにもおそろしい(笑)。
たとえば、包装紙。切りやすいように切込みがついている。すごいのになると、切り込みもないのに「この商品はここから開けやすくなっています」なんて書いてあって、実際、スパッと開く。
まったく、「痒いところに手が届く」というか、「おんぶに抱っこに肩車」状態だ。ときどき、やりすぎじゃないかとも思う。
きりがないので、もうひとつだけ。
洗濯機がすごい。
自動で洗濯物の量を判断して、水量を決めてくれる。そして、これがまた、見事なくらいに節水が利いているのだ。しかも、早い。
Jの洗濯機は本当にストレスフルな代物だった。水はがばがば食うし、いつまで経っても終わらないし、汚れは落ちないし、ネットにごみが集まらず、フリースなんかが代わりにごみを吸着してくれる始末だ。これなら2層式の古典的な洗濯機の方がよほどまし。ちなみに某韓国製だった。
インドにいたときはアメリカのWhirlpoolって会社の洗濯機を使っていた。これはものすごいパワーなのだが、ただそれだけ…。ぶんぶん回る。服がねじ切れるんじゃないかと思ったくらいだ。
しかも、脱水時、ふたを開けても止まらない。安全装置なんかついていなかった。
時にあんまり過保護なのもどうかと思うけど、日本のものはやっぱ、すばらしい。
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ネット開通
ついに明日、自宅にインターネットが開通する。
30Mで2,900円。5月末からは驚異の160M(3,300円)ってサービスが始まるらしいけど、まあ、とりあえず、30Mでもじゅうぶんだろう。ちなみに会社はJ.comってところ。
パタヤで引いたADSLは512Kで700バーツ(2,300円くらい)だった。
前回、インドでは256Kで2,000ルピー(当時、4,000円くらい)。
インターネットは世界をつなぐなんていうけど、なんたって、インフラがものをいう世界。
どっかでタイのネット普及率は16%なんて記事を読んだような気がするが、パソコン、電話線、プロバイダ契約などなどと考えると、フツーの人々にはとても敷居の高いものではある。
ケータイ電話が先を行くのは無理もないハナシだ。
でも、個人的にネットには可能性も感じるし、なにより依存気味だが、ケータイはねぇ。どうも、あまり好きじゃない。まして、日本の島国根性丸出しのケータイ電話事情は最悪だ。
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見事なタイミング
「やっとネットが開通!」と思ったら、なんと、パソコンがいかれた。
立ち上がれないのである。
いわば、勃起不全ともいうべき状態。起動音までもたどり着けない。
電源を入れると、ファンが回転し始めるが、ハードディスクが回り始める前に「あぁ、ダメ」ってなカンジで落ちる。
とうとう、枯れてしまったか。
確かに最近不調だった。ときどき、勃起不全のような(立ち上がれない)ことがあったし、いきなり萎える(ソフトが落ちるのではなくて、電源が落ちる)こともあった。なんとか、だましだましというか、無理矢理使っていた訳だが、ついに今日はもう、まったくダメ。
とにかく、ハードディスクがいかれていないことを願う。
これから、ソフマップに相談に行ってきます。
ところで、相談といえば、近所の自販機に「牛乳に相談だ!」というポスターが貼ってある。確かに思春期の頃、背を伸ばそうと毎日、牛乳を1リットル飲んでいたこともあった。しかし、Macがいかれてオロオロしているおれには、思わず、「ケッ!」と八つ当たりのひとつもしたくなるポスターなのであった。
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多忙な日本人
まったく日本の暮らしというのは忙しいものだ。
技術と情報は、ヒトの時間を奪う。両者とも本来は効率化を計るために存在し、提供され、高度化してきたはずなのに、いつの間にか、おれたちは技術と情報にすっかり振り回され、やがて、束縛にまで至ってしまった。
おれは相変わらず、無職である。
ただ毎日ふらふらしている。それでも、パタヤにいた頃より圧倒的に多忙なのだ。何が忙しいんだって笑われそうだが、自分でもよくわからない。よくわからないが、時間に追われてしまう(笑)。
規則正しく、いや、正確には、健康に暮らそうと一念奮起してからはなおさらなのだ。
買い物をし炊事をし、時には掃除洗濯などもし、一日に三度も飯を食い、コーヒーを飲む。新聞を読み、Webを徘徊し、本を読み映画を観る。ジムにも行く。夜は酒を飲む。
あぁ、もう忙しい…。
パタヤにいるとだんだん焦ってもくるが、ある種の居直りもある。しかし、ここにいると、焦る間もなくいろいろなものが迫ってくる。それを取捨選択するのが大変だ。
ところで、近々、新しい報告ができるかも…です。
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Intel Mac mini
結局、急場しのぎに新しいコンピューターを買ってしまった。いかれたのは本体なので、モニターもキーボードもあるし…ということで価格がお手頃なMac miniにした。
旧G5はおそらく電源装置あたりの不良なので、まあ、修理に出せば直るだろうとのことだった。が、IBM時代の最高峰機種であるG5が、Intelのプロセッサを積んだ新しいMacと比べると、ベンチマーク・テストの結果ではMac miniにも劣ると知って少々愕然としてしまい、修理に対するモティベーションが下がってしまったのだ。それも販売員の手なのかもしれない。
G5は購入後、わずか3年半。コンピューターの進歩は早すぎる。なんか、完全に企業の策略に乗せられている気もするが、すでにコンピューターなしでは生活できないカラダになってしまったのだ。
ところで、新しいOSがまた、すごい。まだ、慣れないけど、OSはどんどん直感的になってきている。インド、パタヤと連続的に3年近く費やしてしまったので、その間、OSもアップデートしていなかった。Macユーザーでない方にはピンとこない話題だろうから申し訳ないが、PantherからLeopardにいきなり変わるとびっくりする。
Dash Board(一般的にはWidgetというヤツらしい)、Spacesなんてのは、頭の中で無意識の思考の切り替えをヴィジュアル化しているようなカンジに近づいていると思う。
しかし、古いHDからデータを移行し、とりあえず、操作にこなれてくるのに、丸2日も費やしてしまった。
あぁ、忙しい(笑)。
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今日、異国の匂いを嗅ぐ。日本で
電車を降りて狭い路地を往く。ふと、エスニックな匂いを嗅ぐ。
考えてみると、そんな誘導要因がなくても、時に、おれは自分の生まれたこの街に異国情緒を感じたりする。
そんなとき、よくわからないが、少し豊かな気分になるのだ。
いま、異国にいる 通勤電車の中で
ふと、異国の景色が飛び去っていく 窓の向こうを
私の荷物だけが軽やかだ 押し合う人々にくらべて
あなたは私のことを知らない こんなに触れ合っているのに
思いの外、私はくつろいでいる 孤独だから
電車を降りると知らない街にいた たったひとり
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「大日本人」(ネタバレなしの抽象論)
遅ればせながらDVDで松本人志監督「大日本人」を観た。

ある意味、すごい映画だ(笑)。「これは映画なのか?」というくらいすごい(?)。監督は「映画を破壊する」といったとかなんとか。
まあ、何を持って映画というかよくわからないが、確かにこれもある種の破壊なのかもしれない。
映画全体を通して、松本の意図はよくわかる。
が、田原総一朗や森達也、マイケル・ムーア(ふと、思い浮かんだので)を見てもよくわかるように、社会や世相を批判しようとすると、批判者は、その批判対象とどこか似てくるものだ。批判者とその対象は常に相似なのである。
そして、結局のところ「延命装置」なのだ。
このことが松本人志の作品にも当てはまる。
松本の映画は、松本が彼らしい毒でもって揶揄しこき下ろし、そして、哀調たっぷりに擁護する日本そのものである。松本の手法も世界観もできあがった作品の個性も、ことごとく、彼が愛し憎悪し、そして嫌悪する日本や日本人の個性そのものである。
そのことがおれには残念でならない。
ただ、それが松本人志というヒトのスタンスなのだろうし、世界の捉え方なのだろう。これも「地べたに足がついている」というひとつのあり方だろう。その点では上記3人とは明らかにスタンスが違う。それなのに「批判者のテーゼ」に囚らえられてしまっている。
なぜなのか、さっきから考えているのだが、まだ、よくわからない。
ただ、彼の映画はおれにはあまりなじめないものだった。
たとえば、小林正樹のドキュメンタリー大作「極東裁判」、フィクションであってもフリッツ・ラングが撮った「メトロポリス」や「M」、ヴェンダースがアメリカを撮った「都会のアリス」、「パリ、テキサス」など(これもたまたま思いついたので)は、同じく「地べたに足がついて」いながら(というより、徹底的に個人的でいながら)、上記、「批判者のテーゼ」の範疇に収まらずに作品として成立している。
そのことが、時にはチカラともなり、時には無力の表徴であったりもするのだが、なにより、おれはそんなスタンスが好きなのだ。
「大日本人」も凡百の映画と比べたら、ヒジョーに個性的な作品として成立していると思う。が、松本のお笑いと同様に無駄も多い(彼についてあまり詳しくはないが)。
北野武はどんどん先鋭さを失い大島渚と同じ「映画文化人」化した映画しか撮れなくなっているが、少なくとも松本人志はその轍を踏まないだろうという信用だけはある。
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ハイソの表徴
Jが「写真を送れ」とうるさいので、背広を着て出かけた日にケータイで写真を撮って近所の風景と一緒に送った。
すると、素早く返信が…。
「Oh ho! show hi-so na. but, don't forget you are kon ta-lad(市場のヒト) na.」
Jにとって、スーツを着たヒトはハイソであるらしい(笑)。
おれが日常的にスーツを着て働いた期間はほとんど1年程度しかない。だから、「ハイソ」とは言わないまでも、リラックスして背広を着ることができない。行き交うヒトビトはごく当たり前のようにスーツを着こなしているが、こんなモノを着させられるとおれはどうも構えてしまう。それに着慣れないモノを着ると疲れる。
特に、このワイシャツの襟の硬さはどうだ…。まるで学ランのようで息苦しい。
ワイシャツはつまるところ、学ランにはめるカラーのようなモノだ。襟や袖口をスーツから出して「汚れ当て」のように肌の脂や汚れからスーツの生地をガードする。
その「セコい」目的を隠蔽するためにネクタイをしたり、ヒトによってはワイシャツの袖のボタンを飾ったりするのだろう。
良くも悪くも寒い国の装いであるスーツは、だから、南国では、寒い(エアコンの効いた)部屋に座って働くことができるごく一部のヒトのための特権的な装いである。
バングラデシュでは冬(乾季)になると、オフィスの連中はこぞってスーツを着てきたものだ。「おい、今日はなんかあるのか?」と訊くと「いや、普段着れない(暑くて)から」という答えが多い。たいてい一張羅だが、ごく短い寒い時でないと着てられたモンじゃないのだ。冬はオシャレの季節でもある。
そして、冬こそ、もろに貧富の差が装いの差になって現れる。ぐるぐる巻きになって寒さをしのぐヒトと寒さを楽しむことのできるヒトの差は大きい。
それが一目瞭然なので、装うことのできる者は精一杯、自慢の冬着を精一杯着込むのだ。
おれも完全に思考回路が南国のコン・タマダー(庶民?)化しているので、晴れ着のようにスーツを着てしまうのかも知れない(笑)。疲れるのはハレの日でもないのに晴れ着を着るからだ。まあ、「疲れる」とか言いながら、ちょっと、非日常的で楽しかったりもする。
しかし、毎日となったら…。疲労の質や意味は変化するのだろうが、きっと疲れることに変わりはないと思う。
毎日、スーツを着て働いているみなさまは、ホントにご苦労なことと思います。
せめて、ハイソ気取りで思いっきりスカして、ファッションとして、または晴れ着を着るような気分で楽しんでください。
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これが日本映画の現実なのか?
先日、記した「大日本人」を借りた際、よくわからないが併せて借りてしまった映画「巌流島」を観た。そして、あまりにひどくて呆然としてしまった。
おーい、日本映画…、タイ映画のこと笑えないぞ!

ひどい映画はいくらでもあるのだろうが、そこは嗅覚ってヤツで自分に合わないモノは本能的に避けるものだが…。ついおろそかにしてしまったんでしょうね…後悔。
人物描写に深みはなく、ストーリーもアイディア勝負で安直きわまりない。演出に至ってはなきに等しい。本木の見栄えと存在感は確かに真田広之に匹敵するかも知れない。が、人物造形があまりにもお粗末で、かえってその本木の魅力がさらに失望を深くする。
本木が結局、ただのきれいな男から先へ進めず、役者として浅野忠信にもなれず、真田には到底及ばず、かといって阿部寛にもなれない理由がよくわかるような気がした。
まあ、この映画の質の低さは本木に帰すべきではなく、あくまで製作と演出や技術パートがその責を負うべきだろう。
殺陣もひどい。時代劇を作るなら黒澤明くらい勉強してもいいんじゃないだろうか?
低予算、超短期で撮影されたのだろう。だだっ広い海や砂浜の撮影が難しいのはわかるが、もう少し、ロケーションや構図を練るくらいはして欲しかった。
いいショットがあったとすれば、本木のアップだけ。
忙しいのにまったく時間を無駄にさせられた。
話題になったのか黙殺されているのかも知らない、おれは観なかったことにして無視したかったのだが、あまりに腹立たしいのでそのことを記録しておきたいという誘惑に負けてしまった(笑)。
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