無料政策
物価高騰の対応策として、タイでは鉄道の乗車券(急行や特急などを除く)や一定額までの水道代などが6ヶ月間、無料になったらしい。
本質的なことは棚上げにしたありがちな政策かな。タクシンの公共病院の診察料無料みたいなものだろうか。
ローカル電車に乗ってタイの地方をまわってみるなんていうのもいいなあと思う今日この頃でした。
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Audioslave
「世界の中心」と暮らす
仕事をしながらJをかまうのはたいへんです。なにしろ、彼女の世界は彼女を中心にまわっています。ある一定以上の情報、キャパを超えるものもキャパを下回るものもスパっとその存在を無視して鏡の中の自分を見つめ、それに酔うことができるヒトなのです。
基本的にそんな性質は国籍にかかわらず、女性には特有かも知れません。
おれがなにをしていようがなにをしなければならなかろうが、その対象の実態や本質、理由にはまるで興味など持たず、「ところであたしキレイ?」となるわけです(笑)。
「成熟」した社会や教育は、そういうシンプルで過剰な自己愛を「恥ずかしい」ものとして包み隠すことを勧めます。そんな洗脳を受けてきた女性(まあ男性もか)は、抑圧的な自己規制さえも美しさなのだと信じようと努めもしますが、それでもめげない自己愛とのせめぎ合いにさいなまれ、葛藤から抜け出せないその姿は、突然の寒波にあって咲ききれないまま枯れていくつぼみのような哀れをも誘います。
それも美か(?)。でも、そんな自己規制は個人にも集団にも根暗い歪みを生まないとは言い切れないでしょう。花は満開に咲き誇ってこそ、枯れても余韻を残すもの。「もののあはれ」とは抑圧の転調ではなく、花の命が短いというそのことそのものではないでしょうか。
だからこそ、堂々と世界の中心に座す女性はJのみならず魅力的なわけですが、その中心性確認の矛先が24時間、おれに向けられるのはとてもきついわけです(笑)。
ただでさえ、自分の時間を削って俸給を得ているわけで、残されたわずかな時間まですべて「世界の中心」に奪われてしまっては、おれの感情が死んでしまいます。しかし、「世界の中心」をほっぽらかして世間体やらお付き合い、打算を巡らせ、さらには自分の裡に閉じこもる時間まで確保しようとするおれに、現在、彼女はおかんむり。意固地になって籠城戦を展開しています(笑)。
天の岩戸じゃないけど、「世界の中心」がお隠れになってしまった。
なにをすればいいのかはよくわかっているんですが…。
久しぶりに独りになれて少しうれしいのも確かなのだ。「しばらくお隠れいただいておこう」なんて…ちょっと残酷です。
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誇り高きおバカちゃん その2
「誇り高きおバカちゃん」であるJにとって、カンボジアは初めての外国旅行先としては居心地がいいとはいえない国のようだ
タイとカンボジア…多くの人がご存じのようにビミョーである。カンボジア側は、嫉妬と羨望の入り交じったなんともいえない複雑な思いをタイとタイ人に対して抱いている。
国と国、人種と人種で並べたら近代史以降、圧倒的に優位に立っているタイ側だが、そんなタイ人がひとり、カンボジアでカンボジア人に紛れてしまえば、そんな国際事情は関係ない。むき出しでカンボジアに対峙せざる得なくなるわけだ。
おかしな(当たり前の)コトにカンボジア人もタイ人もしゃべらなければたいていの場合、彼ら自身でも国籍など区別はつかない。
Jは街中で、店で、レストランで必ずクメール語で話しかけられる。そして、相手がなにを言っているのかわからないし、言葉も通じない大勢に囲まれて過ごすのは初めてだからしどろもどろする。堂々と英語で返してやればいいのだろうが、英語にも自信がないからあいまいに笑うのみ。どうせクメール人の英語もめちゃくちゃなのだからかまわないと思うのだが、なかなかそう簡単には割り切れない。
似たような顔のくせにクメール語もわからず、英語もぱっとしない外国人。「タイ人だ…」と察するわけですね、いくら呑気なカンボジア人だって。
そして、おれに対するカンボジア人の対応と彼女に対するカンボジア人の対応は明らかに違うことに誇り高きJが気づかないわけがない。そして、その差違には二重の意味があることにだって当然、気づいている。
ひとつは、前述したカンボジアータイのビミョーな関係に起因するもの。そして、もうひとつやっかいなもの、有色人種の哀しき同族差別。
日本人は場所や国によっては有色人種の中では例外的な位置にある。
おれたち日本人も同じコトをしているわけですね。日本と韓国、中国との関係や感情などを思い描いていただければみなさん、よく、おわかりになると思います。また、わが島国にやってくる有色人種に対する目と白色人種に対する目には明らかな差があることも。
そして、しゃべらずに近隣3国の人間をごちゃ混ぜにしたら、おれたちだってお互い区別がつきがたいことも…。
まあ、とにかく…。こうして、彼女の誇りは傷つけられてばかり。
その鬱憤を晴らすための彼女の攻撃対象は、当初、タイやカンボジアという漠然としたものだった。しかし、次第にそのストレスは、特権的な扱いを享受できるおれにも矛先を向けてくるようになった。
タイにいるなら希釈されてそう意識せずにすんだことが看過できなくなる。タイにいるなら「金」だけの問題だと割り切れた。
たとえば、自分はいくらバイクで走り回って面接を巡っても、月給5,000バーツのホテル従業員職でさえ得られない。なのに、あんたはあっさり、月給何万バーツの仕事を手に入れる…なんてことまで、怨嗟の対象になってくる。パタヤでのおれはただの自堕落な沈没者だったわけで、Jの目にもその辺のタイ人と変わらなかったわけです(笑)。
情けない思いを味わい、いろいろと複雑な思いをさせられているコトはよくわかる。が、そのストレスは、矛先を世間や他人に向けることではないですね。それをはねのけるだけの個人的能力や魅力の欠如にこそ目を向けるべきなのに…。レッテルを拒絶するためには、その枠に収まらないことを自ら示さなければならないわけです。
しかし、Jは自らの欠如についても気づいていると思う。英語能力にしても、地理感覚や歴史感覚にしても、国際事情や経済についても…。
ただ、彼女の生い立ちや半生を考えてみれば無理なからぬ欠落でもある。そして、そんな欠落を補うにはどうすればよいのか、彼女は途方に暮れるばかりだろうし、それがまた、新たなストレスを生む。
もちろん、「日本」というレッテルと「タイ」というレッテルには大きな違いがあり、おれたちはその「日本」というレッテルから恩恵を受けてもいるでしょう。おれたちの世代の日本人は、そういう意味では恵まれているといっていい。
でも、おれだってこの20年、各地で恥をかき、誇りを傷つけられ、挫折を味わってきたのです。「日本」というレッテルは一方で「タイ」というそれより、より一層、複雑で微妙なものとして機能します。
もちろん、それだって突き詰めていけば、ひとりひとりのココロの問題でしかないものではある。だから、国や民族という帰属の中に遁走しても本質的にはなにも解決しない。ただ、多くの人はそうやって「恥」を処理するだろうし、自分の受けた苦痛を同じ方法で相手にレッテルを貼ることで溜飲を下げようとする。
おれだって時には「日本」に逃げ込む。でも、それでは不満が残るのだ。
きっと、Jもそうするだろうと思う。不満が残ったとしても目をつぶるだろう。彼女は「世界の中心」だし「大いなるタイ」のヒトだから。
なにより、彼女にはそれしか術がない。
こうしたことを話し合えたらとも思うが、話し合えない理由はコトバの壁だけじゃない。言葉が通じたって伝わらないことはたくさんある。
簡単に考えて、彼女の訪問を受け入れてしまったが、ちょっと残酷なことをしたと反省している。
「大いなるタイ」の誇り高きおバカちゃんであるJは、タイに遁走した方がよいと思う。そして、「大いなるタイ」の中で、さらに自分の階級に遁走する。
そこに彼女たちのパラダイスがある。
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食い物のチカラ
カンボジアでタイ人が過ごすことのつらさへ共感と同情、そして「世界の中心」への献身が足りなかったおれに、へそを曲げたJが別室に閉じこもって1日半。
ちょっとかわいそうになって、昨晩、Jが唯一、満足したタイ・レストランでトムヤンクンやシーフード・サラダ、ナン・プリックをテイクアウトし、マンゴスチンとスイカも買って帰った。まさしく天の岩戸の前の宴会である(笑)。
そして、アマテラスよろしく、Jの場合はアハーン・タイ(タイ料理)に釣られちゃうわけですね。まあ、お籠もりにも飽きただろうし…。のこのこと出て来ておれをにらみつけ呪詛のコトバを吐きながらも、満足そうにタイ飯を食う。
本質的なことはなにも解決しないままこうして日常が回復されるわけだが、まあ、ヒトの営みなどそんなものかもね。きっと、おれたちに限ったコトじゃないだろう。
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帰還
昨日、Jは無事、タイに帰還。
外国で暮らすってコトは意外なところでストレスが溜まったりするもので、きっと、彼女も疲れたに違いない。
彼女にとって、初めての外国はどんなカンジだったのだろうか?
そして、初めての帰国は?
きっと「ラック・ムアン・タイ!」(愛してる、タイ!)をかみしめているかも知れない(笑)。
久しぶりのひとりの部屋は、なんとなくがらんとしたようなカンジだが、それも今日のところは少し心地よかったりする。
よく言えば「動じなくなった」、まあ、「無感動になりつつある」おれなので、Jの感情が動く様や動揺は新鮮ではあるものの、常にそれに付き合うのはつらいものもある。
彼女はまた、美容修行です。
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金と力はなかりけり
いつの間にやら、金の威力を知り、それを当てにするようになった。恥をかくことをおそれて小さな権威にしがみつき、そこに安座する。
しかし、恒常的な扁桃腺炎に悩まされて虚弱体質の少年時代を過ごし、都心の空洞化が始まって、人通りの絶えつつあった商店街で客のない店の子として育った(ついには強制収用によって追い立てられるように都落ちした)おれの出発点は、そもそも「金と力はなかりけり」であり、開き直って色男を極めるしか道はないはずだった(笑)。
しかし、歳を重ねるごとにおれを取り巻く世間は経済的繁栄を謳歌しはじめ、おれは出発点を忘れがちになった。日本というレッテル自体が「カネ」や「チカラ」の象徴となり、怠惰なおれは、そういう他者の目を受け入れ、自らもカネとチカラを兼ね備えた者であるかのように錯覚しはじめたのだ。
色男といえば、歌舞伎の世界では、花川戸助六、藤屋伊左衛門なんてキャラが特に典型だが、おれには、浮浪殿(ジョージ秋山「浮浪雲」の主人公)がわかりやすい。
いずれにせよ、絵空事ではあるが、こうして見ると色男の道もなかなか険しい(笑)。浮世離れしていなければならないわけだが、その開き直りには、「カネとチカラ」といった場合の「チカラ」とは違った「勁さ」が必要になる。
初心に還って「金と力はなかりけり」ってところからもう一度、再出発したいと思う今日この頃なのだ。
40にして「金も力もありません」(笑)。
鼻で笑われるだろうな。それでも、受け入れられる器量を備えたなら、それこそまさしく「色男」ということじゃないか。
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(5+2)×52×79.00
金曜日は少なくとも他の日にくらべて気分がよい。週末がやってくるから気分が良いわけだが、おれにとって、これはけっこう恐ろしいことだ。
1週間は7日だが、週末は2日しかない。
これまでも、ときどき、5と2という対立項が生み出す観念に浸かって、まとまった期間を過ごしてきた。5の側にだって使命感や喜び、高揚があったこともあるだろう。しかし、学校といい賃金労働といい、5対2や6対1という枠にはめられていた期間にあまりいい思い出はないのも事実だ。
「5対2」から妄想は飛躍して、おれの場合、「ハレとケ」「日常と非日常」や祝祭にまつわる観念や機能に興味がある一方で、こうしたサイクルを破壊し超越することにも大いに惹かれる。たとえば、「ニート」とか「外こもり」なんてのも超越への模索のひとつだろうし、昨日のLoopさんからコメントいただいた「バートルビー」なんかもそのひとつだ。破壊や超越は動的とは限らないのだ。
ヒトはサイクルやルーティンを生み出し、同時にそれを破壊し超越する手段も模索する。破壊者は常にオトコであるような先入観を抱きがちだが、ヒンドゥ教などでは「カーリー」や「ドゥルガ」なんていう女性神だったりもする。
なんだかワケのわからないハナシになってしまった。
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透明人間になりたい
久しぶりのひとりの週末。
やっぱりひとりになる時間は大切だ。つっかけを履いてひとり、街を歩き回る。プノンペン、セントラルマーケットの周辺は、漢字の看板がひしめく華僑街でもある。
「中華拉麺」と書かれた店に入る。「歓迎光臨」とあるが、特に歓待されるわけでもなく静かに席に着き「紅焼牛肉麺」というのを頼む。1.5ドル。
店主一家は中国系で店の奥でビールを飲みながらオリンピックを見ている。
ウェイトレスも店先で麺を打つスタッフもクメール人。黒い手が見事な手さばきで小麦粉の塊をしごき、細い麺を生み出していく。なんだか不思議な光景だ。
麺はオーダーごとに打つ。
客は、ひとり、ピータンを肴にビールを飲みながらやはりオリンピックを見ている老人とおれだけ。
スープの味は薄く、麺はどちらかというと素麺のようなカンジ。わりとあっさりしている。おれたちには日本のこだわりのラーメンがうまいのは当たり前だが、これはこれでいける。メニューは餃子から麻婆豆腐からいろいろあって、定食屋のように利用価値が高そうだ。こんな店がそこら中にたくさんある。
世界に散らばる中国系のコミュニティは、おれたちにも親和性が高い。食もヒトビトの振る舞いも彼らのおれに対する無関心さも、今日のような気分の日には居心地がよい。
昨晩、とあるバーで行き会ったフランス人のコトバを思い出す。
「タイとカンボジアはとても較べられない。タイは強固なアイデンティティを保っているけど、カンボジアにはヒンドゥ王朝時代の遺跡しかない」。
確かにカンボジアにはなにかが欠けている。ここで感じる不思議な居心地の悪さと、どうにもよくわからないヒトビトのコトを思う時、アフリカのことが脳裏をよぎる。実はアフリカもちょろっと旅しただけだがよくわからなかった。特に街では、ヒトビトは借り物の街に住でいて、彼ら自身が居心地悪そうにしているように見えたものだ。
だが、アフリカとアジアは決定的に違う。「アフリカ」は「アフリカ」として自己主張する。アフリカは「ママ・アフリカ」だ(?)。でも、「アジア」は…。
フランスもこの国をぶち壊した当事者の一国だが、その影響が今も色濃く残っているかというとそうでもないような気がする。
やっぱり、華僑移民であり、タイであり、ベトナムだろう。
ヒトによっては土着の強烈なナニかがみなぎっているところでは疎外感を持ってしまって居心地が悪く、コスモポリタンのようなボヘミアンのような連中の中にいる方が落ち着くってコトもあるだろう。もしくは同じ出自の人間同士でかたまる。
でも、どうやらおれは揺るぎないアイデンティティを持つ他者の中でこそ、「安心」するようだ。もちろん、おれはそんなものを持っていないし、染まりもしない。あくまでよそ者として漂うだけ。
たとえば、イスラム圏が、そしてインドがおれにとって心地よいのはそういう理由なのだろう。
そうやって、いろいろなアイデンティティのかけらを拾い集め、またはそぎ落とし、おれはどんどん何者でもなくなっていく。
唐突だが、だれもが透明人間に憧れたことがあるはずだ。
実はこうしてさすらうことでおれは透明人間になろうとあがいているのだ(笑)。もちろん、科学的にじゃない。観念的に…だ。
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High Tide and Low Tide
昨日の「
(5+2)×52×79.00 」にいただいたコメントへの返信の関連で、ひとつ名曲をご紹介します。
アメリカの若僧たちのように「Yeah!」とか叫ばず、ひとりの夜にテキーラでも飲みながら聴いてください(笑)。
In high seas or in low seas
I'm gonna be your friend,
I'm gonna be your friend.
In high tide or in low tide,
I'll be by your side,
I'll be by your side.
(I heard her praying, praying, praying)
I said, I heard my mother,
She was praying (praying, praying, praying)
And the words that she said (the words that she said),
They still linger in my head (lingers in my head),
She said, "A child is born in this world,
He needs protection,
Got, guide and protect us,
When we're wrong, please correct us.
(when we're wrong, correct us).
And stand by me." yeah!
In high seas or in low seas,
I'm gonna be your friend,
He said, "I'm gonna be your friend."
And, baby, in high tide or low tide,
I'll be by your side,
I'll be by your side.
I siad I heard my mother,
She was crying' (I heard her crying'), yeah! (crying', crying'),
And the tears that she shed (the tears that she shed)
They still linger in my head (lingers in my head)
She said: "A child is born in this world,
He needs protection,
Got, guide and protect us,
When we're wrong, (when we're wrong), correct us.
And in high seas or low seas,
I'm gonna be your friend,
I'm gonna be your friend.
Said, high tide or low tide,
I'll be by your side,
I'll be by your side.
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幻燈
今日、ある必要に迫られて職場の棚をがさがさ漁っていて、古い映写機を発見した。思わず、本来の目的を忘れ、映写機をいじくり回す。
フィルムも見つけたので、セッティングして映写する。
映っているのはなんてことのない農村の風景だが、フィルムの質感のすばらしいこと、部屋を暗くしないと浮かび上がってこないその情感のすばらしいことといったらこの上ない。
このカンジはデジタルのプロジェクターでは味わえないものだ。
「ああ、映画館で映画が観たいなあ」と思う。
カンボジア映画の小屋はあるが…。どうにもそそらないんだよなあ。
それにしても、映画とは幻燈なんだな。ついクリティカルになりすぎて、そのようにワクワクしながら映画を観ることを忘れてしまっている。
今夜はせめて、なにかDVDでも観ようかな。
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High Tide or Low Tide
数日前に紹介した唄ですが、タイトルを間違えていました。
失礼。
正しくは「High Tide or Low Tide」です。
コメントをいただきまして(masapattayaさん、ありがとうございます)、手前勝手な訳を記してみました。しかし、詩の訳ほど難しいものはありません。解釈はいかようにも可能です。そして、聴く者の自由です。
自分は「母に捧げる唄」だと思っています。
海や波にかけて、「you」は母ではないでしょうか。
母なる海?
女性賛歌?
自分は「マザコン」「フェミコン」???…ですので、そう聴くとしっくりきます(笑)。
海も母も女性も気性が激しく気まぐれ、しかし大いなるもの。
オトコなんぞ、そんな彼女たちに振り回され、すがりついて生きる程度のものかも知れませんね。
「High Tide or Low Tide」
満つる時も引く時も
海よ
おれはあなたとともにある
あなたの友であるだろう
波が高くとも低くとも
海よ
あなたと寄り添って
おれはあなたのそばにいる
ひざまづき祈る声を聞いたんだ
母の祈りを聞いた
彼女は一心に祈り
その言葉がいまもおれの頭の中でこだまする
彼女はつぶやく
幼子はあなたのご加護を必要としています
父よ、私たちを導き加護ください
もし、過ちを犯したならお正しください
そして、私たちとともにあらんことを…
荒れる時も凪ぐ時も
海よ
あなたはおれとともにあるだろう
おれの友であるだろう
激しい波も穏やかな波も
海よ
おれに寄り添って
あなたはおれのそばにいる
おれは確かに聞いたんだ
彼女は泣いていた
泣き声を聞いた
彼女は涙を落とし
泣き声がいまもおれの頭にこだまする
幼子はあなたのご加護を必要としています
父よ、私たちを導き加護ください
もし、過ちを犯したならお正しください
満つる時も引く時も
海よ
おれはあなたとともにある
あなたの友であるだろう
波が高くとも低くとも
海よ
あなたと寄り添って
おれはあなたのそばにいる
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Funny Billboard
This time...We are going to "Rock & Regg"!
まあ、黙って聴いてください(笑)。
ここで観ると絵と音がズレてますが…。
24の時、おれはこの人に完全にやられたのでした。
まあ、ご本人は87年に亡くなってます。つまり5年後れたわけで…まこと、慚愧に堪えん。
そして、27の時、ジャマイカに出かけました。
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違和感
どうにもカンボジアが愛せなくて困っている。
カンボジアにはなにもないのだ…。
カンボジア人は空っぽなのだ。
そんな思いばかり募ってしまい、勢い、華僑の店で中華料理ばかり食っている。べつに食い物のハナシではないのだが、強固なアイデンティティを持つヒトたちの中に紛れているとなんだか居心地がいいのだ。
日本人に囲まれているのは苦手だ。なぜなら、同族意識を迫られるから…。陰に日向に連帯感を強要されるから。
「愛せなくて…」といって、じゃあ、わりとよく知ったインドやタイ、インド人やタイ人を愛しているのかといったら、これまたビミョーなのはもちろんだ。ただ、日本や日本人を愛しているのかと問われたらやっぱりビミョーなわけで、そんな大雑把な問い方にまで疑義を呈したくなる。そして、もちろん、ビミョーさはつまり、一定の許容と拒絶のせめぎ合いがさまざまな位相で現れてくるがゆえでもある。
ご託や能書きだって、ここにもこれまで記してきたようにたくさん、ある。
そりゃ、年月が違うということもあるだろう。
ただ、どことない、そこはかとない違和感が拭いがたくココロのどこかに居座っているのは偽れない。
また、気分も変わるだろうし、時とともに違った見え方が生まれるかも知れない。
しかし…、この違和感。うまく説明できない。が、時間がある時に、また説明にチャレンジしたい。
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お魚さん
なんとなくやりきれない気分なので、メガネを買い夜のプールに泳ぎに行った。
やっぱりプールは夜に限る。
本当は、少年のころのように学校のプールに忍び込んで泳ぐというのがサイコー(?)なのだが、まあ、そうでなくともナチュラル・ハイなのだ。
最近は毎日、雨が降る。
プールの脇を流れるトンレサップ川はもう、2週間ほど前から逆流しはじめている。その水はトンレサップ湖へと流れ込み、湖は大きく膨張し氾濫する。これがカンボジアの農業や水産業を支えている。デルタでは河が氾濫するとお魚さんも一緒に流れてくるんですねぇ。
バングラデシュでは洪水の時に、いつも通勤していた首都ダッカの路上で投網を打っている人を見たことがある(笑)。冗談ではありません。
お魚さんはすごい。
泳いでみるとその偉大さがわかります。
魚の動きだけをイメージして泳ぐ。
たいていの魚の尾びれは縦向きかな。しかし、縦はきつい。横ふりは真似できない。
「どうやら、鯨なんかは横向きではないか!」と思い当たる。縦振りだ。ほ乳類は縦振りなのか。腹筋と背筋を使って上下に振れってコトだ。しかし、鯨もイルカも愛嬌があり過ぎる。もうちょっと、サカナ的無表情さがいまは必要なのに…。
まあ、ジャンプかな。ジャンプはいい。しかし、できん。
ところで、鯨やイルカには腹筋や背筋があるわけだよ、縦振りだもの。
やっぱ、ほ乳類だなぁ。
などなど…と、ほとんどわけのわからない思いつきの連続に身も心もゆだねて泳いだら、なんとなく気分も軽くなった。
しかし、すでにだるい。
今日はもう寝ます。
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大脳旧皮質
美容修行再開
カンボジアから戻って、Jはパタヤ・ヌア(ノース・パタヤ)BIG-C近くの美容院で働き出した。なんでも新しくできた店でオーナーはその道20年のベテランだそうな。
ソイ・ヌンのいかにもローカルな店とはいろいろな面で違うようで、Jはなんだか、自信喪失しているらしい。まあ、きっとそんなに差があるわけじゃないと思う。単にJのブランクがそうカンジさせるんだろう。ただ、ソイ・ヌンに散在する美容院が呑気すぎるのも事実なわけで、少しは自分の未熟さを痛感するのもいいのかも知れない。
おれは9月末に一週間ほどパタヤに戻る予定です。10時間以上かかるらしいけど、バスの旅にしてみようかなどと思っています。
ああ、ソムタムが食いたい。
そして、なによりバイクがどうなっているのか、心配だ…。
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半分人生
「三十代でやった仕事の成果でいまも食いつないでいるようなもんさ」
とある50代のヒトの台詞。
かれは大学のセンセイだが、学内に留まっていたわけではなく、いわゆる論文博士。つまり、大学院は出ていない。在野でお勉強を続け、その論文が認められて博士号を授与された。それはけっこうたいへんなことだと思う。そして、大学で職を得ることになった。
「三十代が一番仕事に打ち込めた」…。
うーん、まずいな。おれももうすぐ三十代が終わってしまう(笑)。
振り返ってみれば、二十歳からの20年間のうち、約半分、10年くらいはおれも働いていた。
「おまえ…、半分しか働いていないのか!」といわれそうだが、ずっと「やりたいこと」が収入に結びついていなかったので、おれとしては「半分も働いていたのか!」というカンジだ。
まあ、とにかく…、通算10年ほどになる労働は断続的だが常に同じ業界で得た職による。しかし、かれの台詞を反芻しながら、「とても五十代の自分を救えるような質の仕事はしてないな」と思う。
当たり前だ。だいたい、1年か2年のサイクルで働くのが精一杯なおれは、業務終了間近になるたびに「もう二度と働かないぞ!」と思ったものだ。そんな後ろ向きの気持ちをくすぶらせていい仕事ができるわけがない。
そして、おれの言い訳はいつも「おれにはやりたいことがある」だった。
20年のうち、残り半分はやりたいことのためにあったはずなのだが、たどり着いたのが「I would prefer not to...」では、こちらもやはり、五十代の自分を救ってくれるとはとても思えない(笑)。
それは斜に構えた若僧のころの自堕落や耽溺とは違うと信じたいし、デカダンでもニヒリズムでもないはずで、ある種、吹っ切れたような気安さもある。しかし、そのラジカルさを受け止めるほどの勁さや覚悟が自分にあるとも思えないのだ。
ああ、四十代も半分仕事の半分人生が続くのか…。全的人生にするためには都合良く金を調達しようとなびいてしまう「半分仕事」をこそ放擲するべきなのだが、それでおれにはいったいなにが残るのだろう…。
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Thai Reggae
また、音楽の話題に戻ってしまうわけだが、以前、Jとプーケットに行った時、レゲエ・バーで「タイのレゲエを紹介してくれ」といって聴かされた曲。
今年に入ってからテレビCMに採用されたりしてメジャー化してるみたいだ。YouTubeにもアップされていた。
パタヤに戻ってからCDを捜しても「リリースされてない」といわれてばかり。ソイ・ヌンでレゲエ・グッズを売っている店の兄ちゃんがわざわざ自分の持っているMP3をCDに焼いてタダでくれた。そのCDに入っている楽曲はYouTube版よりもう少しスローテンポだ。
Jが解説してくれたところによると、詩もなかなかダメ男ぶりを発揮した妙味があるものだった。
南タイはいい。
97年にBKKからKLまでバスで旅したことがある。
いまや、政治的にいろいろたいへんなところが多いけど、味のある連中が多かったような気がする。レゲエが聴ける飲み屋も多いし(笑)。
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出稼ぎ
Jの友人にNという娘がいる。
妹が韓国人と結婚して一児をなし韓国で生活している。昨年、Nは妹夫婦を訪ねて、ボーイ・フレンドとともに観光ヴィザで韓国に渡った。もちろん、妹とその一児を訪ねるためだが、実は不法就労するためである。ボーイ・フレンドは大学出で英語もそこそこできる。ホンダのセールスマンをしていたが、あっさりやめて、出稼ぎの可能性に賭けた。かれは温厚でマジメそうな好男子なのだが、やっぱりマイペンライなタイ・オトコなのだろう(笑)。
最初の三ヶ月、ふたりは妹夫婦の家に居候し、近所の託児所でアルバイトをし、コトバや生活になじむように努めながら様子を見た。そして、ヴィザが切れて一度帰国。しかし、航空券代なども考えるとこれではまるで割に合わない。
今年に入ってからふたりはふたたび渡航。
住み込みの工場勤務を見つけ、妹夫婦とは離れてカップルで働いた。収入はひとり4万バーツほど。そのまま3ヶ月のヴィザが切れても帰らず、不法滞在を続ける。
なかなかハードな生活らしいが、タイでくすぶっているより金にはなる。なんとか数年持ちこたえて金を貯め、店を持つのがふたりの目標だったらしいが…
「捕まっちゃった」
昨日、NからJに電話があったそうだ。
偶然、職質を受けてしまい、Nだけが捕まり、ボーイフレンドはダッシュで振り切って逃げたそうだ。Nは近日中に手続きを終えて強制送還されるという。
「彼女を残して逃げるってどうなんだ?」
おれがJに訊くと「ふたりで捕まっちゃうよりいいでしょ。まだ、6ヶ月くらいだし、お金も貯まってないのよ」
こういうハナシを聴いていると、「たいへんだなあ」とも思い、でも、どこか微笑ましくも思い、なぜかよくわからないがちょっとだけ「うらやましく」も思う。
なんか「生きるために」生きる…シンプルなチカラがみなぎってんだよねぇ。しかもヘンにシャッチョコばってなくて自然体なのだ。
まあ、いろいろな意味で「なんだかなあ」と思わざるも得ないが…。
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