たとえば、喫煙なんてのは「依存症」のなせる業なわけで依存症ときくと「もうだめだ」的な気分になるが、なんてことはない。
おれ、きっとセックス依存症なんだと思う。
約一ヶ月の日本滞在中、日本人はおっぱい依存症だと思った。東京でしばらく安ホテルに泊まったのだが、100円払って見るエロビデオのオンナのおっぱいのでかいこと。そのおっぱいを執拗にいじくることで成り立っているビデオの退屈で欲情しないこと。電車の吊りもののグラビアのオンナはみなビキニから胸がはみ出そうだ。
胸がでかいってのは、ある種、滑稽ですらあると思うのだが…。そのアンバランスがいいのだろうか?
唐突だが、おれは日本で風俗に行ったことがない。正確には16のときに一度だけ。初めてだった。まあ、その後、幸か不幸か行く必要が生じなかったわけだが、なにより、売ってるのがプレイであり、パーツであることが不満なのだ。
帰国中、酔った席で友人が「日本ほど性風俗が充実しているところはない。おれはヒジョーに満足だ」という。
「そうかなあ」と思う。
日本にいるならフーゾクでなく、ナンパか彼女にしとけよと思う。
おれは、生意気な物言いだが、金を出して買うからには時限的にせよ「オンナそのもの」がいい。しかし、残念ながら、それは日本ではなかなか買えない。それでさまざまな知恵を絞った商品、趣向を凝らしたプレイだったり、胸やら口やらといったパーツが売られるわけなのか。
時代的退廃とか性的好奇心の旺盛さが理由にされたりするのだろう。
だが、それじゃ、おれは満足できないんだよね。だから、セックスそのものに依存症なのかもしれない。これまで性欲にフタをしてきたわけじゃないが、いま不惑の40を前にして、とにかく挿入したい自分を笑う。
50を超えた先輩の友人が言う。
「おまえ、40が不惑なんて平均寿命が50の時代の言い草だ。いま、40前後が一番クライシスなんだよ。おれは40のとき、女を抱く以外、救いはないと思った。そんな何にも集中できない状態が何年も続いたよ」
まあ、彼の言に普遍性があるわけじゃないだろうけど、レールから外れた人生を歩む者ほど、40がクライシスの時となるのかもしれないと、おれは手前勝手にひとりごちるわけだ。
彼も思いっきりレールから外れた人生を歩みながら40台半ばにして、世間から一目置かれる肩書きを持つにいたった。
「だが、女を抱くことだけに溺れていたら、今の自分はなかっただろう。お前も納得いくまで苦しめ」
うーん、おれ、溺れてるかも…。
いわゆる途上国といわれる国では、性風俗はプレイ化もパーツ化もしていない。タイももちろんそうだ。むき出しのオンナ(もちろん、オトコも)が買える。
それだけが魅力のすべてではないが、だからこそ、ある種のオトコ、オンナはこういう国にひきつけられるのだろう。
残念ながら、いま、おれはオンナを買う身分(?)ではないが、タイの、ことカラダを張ってオンナで勝負している女性たちはどこか魅力的である。
依存症であると思しきおれは、一方でコドモ恐怖症になっている。
Jはその気だ。
子供を見るたびに「ナーラック」を連発し、同意を強要する。
だが、こんな状態でコドモまでつくったら…、そう思いながらも依存症のおれにはなす術がない。ついつい、挿しては腰を振っている…
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