近況
慣れない仕事にすっかり疲れて(笑)、最近更新をサボっています。書きたいことはけっこうなるのですが、どうも、気分が切り替わらない。
不思議なもので、このブログをせっせと書いていた頃のテンションというのは、どこか常識的な日常生活とはかけ離れたものがあったのでしょう。
その後、Jは2週間ごとに病院にチェックに通いつつ、薬を飲んでいる。夕方には近所の公園にいってウォーキングも始めたようだ。どうやら、順調なようで一安心。
一昨日には担当医から許可をもらったそうで、さっそく今日からソイ・ヌンにある美容院で働き始めるという。
結核は、以前に働いていた美容院のいずれかで他のスタッフからもらったんじゃないかと思う。なので、ちょっと気になるところだが、まあ、体調さえちゃんと管理できていれば大丈夫だろう。
おれも願わくば「髪結いの亭主」としゃれ込みたいところだが…(笑)。
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尾を引く
思ってもみなかったことだけど、タイってのは不思議に尾を引きますねぇ。
長くいるとやり切れなさもまた、格別ではあったが…。
すべては「マイ・ペン・ライ」の持つチカラの成せる業かと、改めて思いを馳せる今日この頃です。
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職場にて
最近になってやっと自分のデスクに座る時間を取れるようになってきた。ま、ここからがまた、たいへんなわけだが、それでも一段落…やっぱり、ルーティンが出来てくると安心する哀しい日本人なのだ(笑)。
職場のすぐ隣には、タイでいうところのタウンハウス街が造成されている。これがでかい!
パタヤで言うなら、カルフールの裏手、ソイ・ユメのタウンハウス街のようなカンジだが、もっともっとでかい。何百世帯あるのだろう?
そして3階建てのもので一軒1,500万円くらいするらしい!
やはり、カンボジアでも土地は投機的に買われまくっている。タウンハウスも多くは投資のために買われ、建築途中から「売ります」「貸します」の看板がかかっている。
聞くところによれば、地方でも幹線道路沿いや開発計画があるところなどは、資産家や企業に土地が買い占められ、こうした計画を事前に察知できる連中(政治家とか官僚とか)はますます肥え太っていく。
プノンペンでは成金どもが高級車を乗り回し、そのバカな倅や娘はナイトクラブをはしごして泥酔しヤクでぶっ飛んで路上を徘徊する。
まだまだプリミティブなレベルではあるが、カンボジアはグローバリゼーションの波に急激に巻き込まれる新興国の姿が現在進行形で見られる。
どのように歪みが生まれるのか、国内外の連中にどう食い物にされるのかという事例が目の前にゴロゴロとあからさまに転がっている。きっと、タイのたどった道が再現されているのかも知れない。しかし、カンボジアの庶民の未来はタイのそれより、もっともっと苦しいものになるだろう。
まあ、おれもそんな歪みの助長に一役買いながら、その恩恵にあずかってここにいる…。
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カンボジアでタイを思う
カンボジアに来て一週間になった。
この一週間、見るもの聴くもの、つい、タイと比較してしまう。
東南アジアで一定期間暮らしたのはタイが初めてだった。だから、どこか似て非なるカンボジアでも、なにかに触れると頭の中では、「タイの場合は…」という検討が自動的にはじまってしまう。それだけ「タイ」という呪縛はつよいのかも知れない(笑)。
または、タイ語だって出来ないが曲がりなりにもJの存在が、おれをしてタイを「知っているような」気にさせるのかも知れない。ただ、Jという窓から覗いていたタイでの見聞と、仕事という窓から覗くカンボジアの見聞はまったく位相が違っている。
いわば、サラリーマンの目で見た日本とコギャルの目で見た日本がきっと、まるで違うのと同じコトだろう。
それでも、比較は止まない。
そして、あらゆる意味でタイはほどよいカンジがするのはなぜかを考える。
カンボジアはタイ以上に外国人に対して懐が深い。懐が深すぎていつもひどい目に遭ってきた。華僑、中華人民共和国、ベトナム、タイ、フランス、アメリカ合州国…。いまや、シーク教徒や黒人までけっこう目につく。
また、懐が深すぎて、都市の文化はつねにカンボジア人のものというより外国人のものであった。この国で街の庶民文化を創ってきたのは華僑だ。それはいまも継続している。村に生きてきたカンボジア人もいまや、どんどん都市に流入して、もちろん、プノンペンだって数的なメジョリティーはカンボジアの人たちだろう。
でも、現在のプノンペンは、フランス植民地時代に造られた都市計画を基本にしているし、プノンペンに一目でカンボジアらしさ、カンボジア人らしさを感じるかというと微妙だ。
または、すでにカンボジアらしさとはなにかが曖昧になりつつあるのかも知れない。
その点、タイはリゾート地の一部、租界地のような界隈や、ヤワラートのような中華街を除けば、もろ、タイらしいしタイ人らしさにあふれている(笑)。
言い換えれば、どん欲に取り込んだものも、タイ的解釈によってオリジナルとは違ったものにしてしまう。ヒトによってはその変換が耐え難いものに映ったり、受け入れがたかったりする。もちろん、ヒトによってはその「なんちゃって」具合が楽しくて仕方ない。
カンボジアは逆に取り込まれたものに対するカンボジア的アレンジが少ないように思う。街に基礎がないから、在来のものも持ち込まれたものもそのままの姿で渾然一体となって街を形作っている。
きっと、その方が暮らしやすいヒトもいるだろう。
カンボジアに暮らす外国人はおそらくほとんどプノンペンかシュムリアップにいるだろう。彼らがカンボジアこそ暮らしやすいと思っているのなら、それは、カンボジア王国に出現した無国籍都市を愛しているのだと思う。もちろん、無国籍性は都市の基本だろうが、おれのような人間は何らかのファウンデーションを求めてしまう。
そして、タイでは外国人はバンコクやプーケット、チェンマイばかりに居着かない。
経済や歴史、文化といった差も大きいだろうが、カンボジアとの違いを考えるとき、けっこう興味深い。
ただ、これはわすか一週間での感想。きっと、見え方はどんどん変化してくるに違いない。
少なくとも、プノンペンという首都で暮らさざる得ない今回のおれは、この街に潜むカンボジアらしいファウンデーションを見いだしたいものだ。
私生活の課題だな。
カンボジア日記の方で写真を少しずつアップしています。合わせてご覧ください。
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カンボジアにて
ただいま、プノンペン。
暑い。
どうもどうも。
おれはその実、気が小さいのでまだ、様子見しています。
カンボジアは不思議なところです。
過酷な歴史とやけにいい天気がミスマッチで、全体が「大いなる田舎」なのに、妙に生々しく毒々しい活気にも満ちている。
コトバもわからず、すべてに不案内。
仕事をするってのはつらいことですね。少なくともパタヤ沈没からの復帰組である自分にとっては…。
ただ、つくられた流れに身を任せて情況に運ばれています。
落ち着いたら、少しずつ、カンボジアの紹介が出来ればと思います。
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剃毛
いつの頃からか、南国で暮らすのに下の毛を剃るようになった。もちろん、全部は剃らない(笑)。が、タマの周りや裏筋あたり、股の付け根などの毛をそり落とし、恥骨のあたりに残る毛も短く刈ってしまう。
なぜって、暑いのだ(笑)。むれるしうざい。
かつて、バングラデシュでホテルのジムに行ったときのこと。銭湯のノリでチンチンをぶらぶらさせながら歩いていると、敬虔そうなイスラム教徒のおじさんに「頼むからタオルで隠してくれないか…。それに、その毛。だらしない」と言われた。
少年時代、おれのうちには風呂がなく銭湯に通っていた。当時、手ぬぐいで下半身を隠している人なんていなかった。下手すりゃ口の悪い年長者に「大したモノ持ってるわけでもないんだろ。こそこそすんな」なんてからかわれたものだ。
そう、イスラム教徒たちは人前でナニをさらすようなまねはゼッタイにしない。ちなみに下の毛や脇毛はきれいに剃る。
「なんで下の毛は剃らないんだ?」
その後、まじめくさった顔で訊かれた。日本ではひげは念入りに剃っても下の毛や脇毛を剃る男はきっといないだろう。
「あんたら、髭はせっせと伸ばすのに、体毛は剃るんだね」
髭だってけっこうまめに手入れをしているヒトが多い。曰く「口髭は刈り、顎髭は伸ばしなさい」だ。
イスラムは「清潔さ」を尊ぶ。それはカラダを健康に保つことが精神の健康を保つことであるという認識によるものであり、肉体を健康に保つための具体的な指示をイスラム教徒は守らねばならない。
まあ、カラダをないがしろにする宗教もないだろうが、イスラムでは「生殖器の毛を剃ること、割礼、口髭を切りそろえること、わきの下の脱毛、爪を切ること」は基本である。
ということで、そのときはじめて下の毛を剃ってみたわけだ(笑)。
確かになかなか快適。しかし、困ったこともある。無精しているとちくちくして返ってウザい。
脱毛ってわけにもいかないしねぇ。
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醤油とナンプラ
新宿西口のヨドバシカメラ裏に「渡邊」というそば屋がある。おれはそばが好きだ。なかでも「渡邊」のそばは、この辺で食うには一番うまいと思う。
めんつゆも見事だ。そして、そばを味わいながら、ふと、醤油のことを考える。
日本食といえば醤油といってもいいくらい根本的な調味料であるのに、リッパな食通ならいざ知らず、醤油を問うことはあまりない。素材や調理については嘆息するほどかまびすしいというのにだ。
そこでふと以前、Jとラヨーンの方の海に行ったときのことを思い出した。
海の店のような食堂で飯を食ったのだが、Jが「このナンプラ、すごくおいしい」という。ぜんぜん、売ってるナンプラと違うと。
んで、訊いてみると、一家の男たちは漁師でもあり、ナンプラは自家製だという。
タイじゃ、食堂ではレモンと唐辛子をつけ込んだナンプラがデフォルトである。どの店も同じように見えるし、漢字でも「味露」と併記されているペラペラのプラスチック・ボトルに入ったナンプラを使っているところが多い。
街に出て来て、ありきたりの飯を食い続けてきたであろうJだが、ふるさとで食ってきた「本来的なやり方でつくられたもの」を感知する味覚は失われていないわけだ。別に工業製品のように作られるナンプラが「正しくない」とはいわないが、「やっぱり味が違うんだ」ということが新鮮でありうれしくもある。
そして、イマイチ違いを感知できない自分を笑う。
さらに思う。醤油なら、味噌なら、「おれは違いを感知できるのだろうか?」と。
かなり怪しいような気がするのだ(笑)。
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夏目漱石妄想
連日、酒ばかり飲んでいる。へべれけである。ひとりで飲む酒と、何らかの理由にかこつけて、イベント的に飲む酒はまるで酔い方が違う。
とにかく、日本人は酒なのだ。ノミニケーションなのだ。
これが、どうもおれは好きじゃない。前夜のようにレディーボーイ・バーに行くならいい(笑)。しかし、狭苦しい飲み屋で酒の勢いを借りて、翌朝の記憶には残らない議論で気炎を上げるのはどうしても好きになれないんだ。
しかし、これだって仕事のうちなのかも知れない。少なくとも独立事業主に近しいおれにとっては、大切な営業なのだろう。
レディーボーイにばらまく夏目漱石(1,000札)、ノミニケーションに費やされる数枚の夏目漱石、酔い覚ましのラーメンに小銭が戻ってくる夏目漱石…。
カンボジアに持って行く本をトランクに詰め込みながら、「本って安いなぁ」と思う。ぜったいに読み切れないとわかっているのに持って行きたい本がたくさんある。
命を削りながら書かれた文字の集積…。
そういえば、おれの部屋から一番近い古本屋が廃業した。閉店前にはすばらしい本がすごく安く売られていた。
おれの知る限り阿佐ヶ谷には6軒の古本屋と2軒の貸本屋がある。その中でももっともいい本を良心的な値段で置いている本屋が閉店した。
酔った頭でどの本を持って行こうか思案しながら思う。
「あぁ、おれ、カンボジアなんか行きたくねぇ!」
いや、なんの肩書きも所属もなくして出かけるカンボジアなら大歓迎だが…。でも、少しでも一枚の夏目漱石が軽く感じられるために…おれは行く。たくさんの夏目漱石を、いや、福沢諭吉(笑)を財布に忍ばせるためにおれは行く。
懐かしい子宮のような、初夏のこの部屋に雨戸をおろし厳重に鍵をかけて…。
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日本の夜
お世話になっている業界の先輩とその付き人(お目付役?)に連れられて六本木に行った。
おそらく7,8年ぶりだ。
当時は助監督業をしていて、やはり先輩の助監督に連れられバーからディスコへとはしごし、フィリピン人の娼婦連中に捕まってヘロヘロに酔い、「六本木ってディープだ」と思った。
昨夜は先輩と付き人が20年来、通っている「LAKI LAKI」というレディボーイ・バーへ。55歳から20歳までの改造済みや未改造のレディー・ボーイが迎えてくれる。
いやー、ちょっとぶっ飛んでしまった(笑)。
なにしろ、日本でこの手の店に入ったことがない。みんなノリノリだ。ショーもなかなか凝っていて、キレイに攻めてきたかと思うと、笑いなりグロもあり、ぜんぜんタイに劣らない。同行者が常連中の常連なので、次々と女の子(男の子)がつき、それぞれがそのキャラに応じて役割を心得ていて飽きさせないし、何しろ気配りが利いていて居心地がいい。
「日本でもこれ、ありなんだ!」
新鮮だった。
ショーの時間になるころには満席である。お客さんたちの表情がユルーくて、ほとんど勤め人風情の人たちばかりだったが、日中の路上やオフィス内との落差が激しい。
そして、なにより「日本語が通じる」(笑)。
もちろん、日本にも「すきま」はまだまだある。そんなこと多くの人が知っているはずだが、ともするとサブカルのようなマニアックな世界になってしまっていて、日常との距離が大きかったりする。
おれもタイじゃパタヤのような、その中でもかなり「すきま」的空間に潜んでいたわけだが、日本では主体的に近づこうとはしなかった。
ここでもレディース・ドリンクがあり、ショーではチップも喜ばれる。
1,000円という単位と100バーツの差は大きい(笑)。1,000円は安いが高い、100バーツは高いが安い(?)。
ボトルにレディース・ドリンク、焼きそばやら唐揚げも食ったが、おれは会計を見せてもらえず、先輩がいくら払ったのかわからない。
もう一軒、こんどはフツーの女性がいるバーをはしごして六本木の路上に出る。
黒人が「トップレス、トップレス」と割引券を押しつけてくる。「1時間5,000円、フリードリンク」と書いてある。ジャマイカンのダンサーもいるらしい。
このあたりは黒人だらけだ。
「どこから来たの?」
「ジャマイカ」
「へぇー、なんでまたこんなところへ」
「金、金…」
別れ際、先輩は「日本もいいだろ。かならず帰ってこいよ」といった。
それにしても、電車を乗り継いで帰るのがたいへんだ。パタヤならどんなにへべれけでも、バイクで10分なのに…。
終電はおれのような酔っぱらいどもですし詰めである。いつだって電車はヒトビトを我に返らせる。
ヒトビトは家庭という巣から職場という巣へ、そして、夜の街へと電車に乗って越境し往還する。あの異質な空間は都市の独特な生活体系を支える特殊な装置なのだ。
複数性は誰もが生きている現実だ。
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生活の態度(その2)……複数性
ペソア的にいってしまえば、「わたしとは複数である」。
凡人らしき不徹底さをもってしても、おれもやはり、「複数なるおれ」を生きている。
ただし、ここに示す「複数なるおれ」はペソアのような文学的な、または人格的な意味での複数性ではない。それはもちろん、おれにとっても美しい夢であり、逃れようのない現実でもあるのだが、いまはまだ、その複数性に沈潜して身を隠せるほどの凄味がおれにはない。
今日のところは、詩的さや抽象論はさておいて具体的に自分に必要な形態を考えてみたい。
すると、こういうことになる。
1.微温的思考停止生活
2.自閉的忘我生活
3.個人的冒険生活
4.延命措置生活
笑っちゃうだろうが、おれはけっこう大まじめである(笑)。
どれもおれには欠かせない生の要素だ。
1.は、おれにとってパタヤ沈没がまさしくこれだった。
埋没というか市隠というか…。他人という窓からぼんやりと世界を眺めているような生活がそれだ。または、多少の退廃と堕落を享受する醜悪な高騰遊民気取りの生活。
いわば、香の焚かれた寝台でしっとりと汗に濡れるおれの「アヘン窟」だ。そのアヘン窟には小さな窓があり、寝台からは市井のヒトビトが生き死んでいく様がよく見えるが、どこかおれには他人事でしかない。
2.は、阿佐ヶ谷暮らしがまさにそう。
忘我はけっこうな緊張状態の涯てに立ち現れてくるもので、いわば、極我の向こう側にある。実際、阿佐ヶ谷にいるだけで「呆然」と出来るわけでもなく「呆然」とするにはある種の準備が必要であり、そんな状態を維持するにもある種の注意深さが必要である。本来ならこれを一定期間は継続したい。
いわば、静謐なる狂気まであと半歩…アルコールとたばことコーヒーに事欠かないおれにとっての「辻潤の四畳半」だ。
3.は、生命力の確認だ。かつ、おれにとってもっともわかりやすい「自由」の象徴でもある。もちろん、すでに空間的フロンティアなどないことは知っている。現代に生きる者には社会的な意味での冒険の余地など残っていないのだ。しかし、そんなことは関係ない。あくまで個人的な冒険が必要なのだ。ある種の野蛮さを身にまとうことでもあり、または社会的なサバイバル能力を発揮することでもある。
いわば、おれにとっての「満月の夜」であり、「月に吼える」時だ。
4.は、忌まわしき労働。
残念ながら、おれの1.2.3.は、この4.と直結していない。
ブコウスキーなら「そんな仕事やめたらどうだ」というだろう。
これまで自覚的または無自覚にこのサイクルを不規則に繰り返してきた。しかし、願わくば、徐々にこの垣根を融解したい。
この垣根が融解されてくると、冒頭に記したより内省的なおれの複数性を楽しめることが出来るようになると思っている。
では、おれの生活におけるこの現実的な垣根をいかに融解するのか?
つづく
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ロマンチックな病
先日、Jがバムルンラット病院で健康診断を受けたとき、実は「胸部レントゲンで少し異常が見られるので再検査をお勧めします」という医師所見がついていた。
バムルンラットでさらに詳しい検査をしたかったのだが、たいへんな混雑だったので後日ということにしてあの日はパタヤに戻った。
その後、つい日常にかまけておれが日本に戻るまで再検査に行かなかった。風邪の症状としては良くなっていたし…。ただ、もし、何らかの病を持っているなら「結核」だろうと思っていた。
その後、送られてきた健康診断結果にも特に異常はなかったが、最近になっても空咳が止まらないというので、昨日、サタヒップにあるシリキット女史が援助している病院で再検査させたところ、ホントに肺結核だった。
かつての死病だ。
文学者なんかがよく罹っていた。堀辰雄の功績(?)もあって「ロマンチックな病」のようにも受け止められたが、当時は決定的な治療薬もなく、転地療養くらいしか策もなく、とにかく難病であった。
抗生物質の発達とともに激減したが、東南アジア一般では未だに残っているし、日本でもけっこう再発しているらしい。
いずれにせよ、抵抗力の低下が罹患の原因だろうが、Jがいつから持っていたのかは定かでない。いくつかの美容院で働いてきたが、そのいずれかでもらってきたのだろうか。
Jは「もうだめぇ~」みたいな気分になっているようだが、きちんと対処すれば、いまや、治らない病気ではない。ただ、薬剤耐性も怖いし、根治しないと再発も怖い。
なんてったって、タイ人には「きちんと対処」ってのが、困難を伴いそうで不安だが…。
てなわけで、タイではまだまだ結核も一般的かも知れません。
タイに行かれる方々、特に短期の旅行では無理をしがちですが、疲れたり体調が優れないときは体の要求に耳を傾けて素直に休みましょう。
隔離されたリゾートや高級ホテルを渡り歩く人はともかく、市井のヒトビトの中を往く人は、どこで妙なものをもらわないとも限りません。
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写真拾遺4
写真拾遺3
バンコクにて…これはタイ人の必需品(笑)。ちなみにJは持っていない。

何でも揃う店。金物屋と道具屋と雑貨屋と瀬戸物屋と日曜大工の店を合わせたような品揃え。
安いが質は悪い。

ソイ・ヌンの常設的縁日会場。毎日が夏休みの象徴。



おまけ…いつか、期間限定でも良いから復活したい。
なぜって、おれにとって、いい大人の「夏休み」の象徴なのだ(笑)。

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東京のBlue
なんだかブルーになってしまった。
ちょっと回りくどいブルーのなり方(?)なのだが、とりあえず、「なぜか?」を書き留めておきたい。
東京都下、世田谷や杉並の住宅街は迷路だ。新参者のおれは住んでいると言っても、自宅近辺で道に迷う。途上国が長いから、すぐヒトに尋ねる。
道行くヒトに「すみません…」というと、かなり訝しまれる。基本的にオンナに訊いてはいけない。若くてもおばさんでもあからさまに警戒されることが多い。お年寄りはまだ親切だ。
また、先日、阿佐ヶ谷の駅前にチャリを止めていたら、やはりチャリに乗っていた若い女性がいきなり転けた。誰も助けようとしない。お買い物袋から食材が散乱している。チャリを助け起こしてから、手伝ってやろうとすると「すみません、すみません…ダイジョーブです」と、ほとんど挙動不審なくらい慌てふためかれた。自分のものをおれに触らせまいとするかのごとくだった。
バカバカしくなってしまい、手伝うのをやめて立ち去った(笑)。
そして、今日、ネットを徘徊していて、秋葉原の通り魔の事件を知った。
関連記事やリンクを見ていると、「身の守り方」「道を尋ねる不審者」「ひったくりの手口」などなどが出てくる。
話しかけたり手を貸したりしたときのヒトビトの反応の理由がわかった。
日本じゃ見知らぬヒトに気安く関わってはいけないのだ。タイ人みたいに目が合ってニッコリしたりニヤリとしたら、それこそ、かなりあぶないヒトに違いない。
となれば、どうやらおれのようなヤツがもっとも胡散臭く、怪しいということになる。確かに働いているようにも見えないし、日中からブラブラしている。かといって、悠々自適にも見えようはずがない。考えてみれば職質もよく受けた(笑)。
日本でも道行く他人と、食堂で行き会った兄ちゃんと、市場のオネーチャンやオバチャンとバカ話でもして、たばこでも吹かし合い、時にはカメラを構えたいと思うのだが、これじゃとても無理だ(笑)。
通り魔をするようなヤツが出現するから無理になったのか、そうしたことが当たり前のようにできなくなったからワケのわからんヤツが現れるようになったのか…。
おれにはよくわからない。
まして、なぜ、どこの国でもフツーにでき、かつてはこの国でもできた当たり前のことがこの国ではできなくなってしまったのか…、それもおれにはよくわからない。
とにかく、そんなんでブルーになった。
自閉的な静寂に浮かれて、東京の暮らしを礼賛したけど、「やっぱ、長居しちゃいかん」と思い直した。便利な東京で揃えるべきものを揃えて、とっとと退散だぁ。
よくわからないついでに、どこかのニュース・ページからコピペした以下の記事はどうだ。
今回の通り魔事件では、容疑者の逮捕・連行写真を携帯電話で撮影した人の周りに人だかりができ、自分の携帯に赤外線送受信でコピーする人たちが目立った。目撃情報を集めていた記者は、通行人の女性から赤外線受信で写真を入手。この女性も、逮捕現場にいた別の女性から赤外線受信でコピーしていた。2人は他人同士だった。
女性によると、現場で直接写真を撮影した男性が「捕まったぞ」と叫ぶと、周囲には携帯電話を差し出し、「コピー」を求める人だかりができたという。
映画か小説のシーンとしてなら、とてもシュールだ。
しかし、そんな写真、集めてどうすんだ?
目の前の現実より、数限りなく再現可能なデジタルの画像に群がるヒトたち。ヴァルター・ヴェンヤミンにはぜひ、デジタル時代についても語って欲しかった。
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写真拾遺2
写真拾遺1
せっかくなので、紹介しきれなかった写真をアップします。写真を褒めていただいて調子に乗ってますが、雰囲気が伝わればうれしいです。
なお、時系列ではありません。
クイッティアオ屋。
おばちゃんはかわいいんだが、うまくなくて残念。
彼女の旦那はアル中で絡まれたこともある。

よく似てる。訊いてないけど、きっと姉妹でしょう。

境内での朝市の写真。




Jも通っていた美容コースの出張実習が数回、この朝市で行われた。

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芋焼酎
タイではビールばかり飲んでいたが、東京にいるならビールではもったいない。
以前のブログ記事にyossyさんからコメントをいただき、与太話という焼酎を勧めていただいた。
http://pattayadiary.blog123.fc2.com/blog-entry-247.htmlさっそく、近所の酒屋に買いに行ったのだが、置いていない。でも、せっかくなので焼酎を飲んでみることにする。自分がよく飲んできたバーボンにしてもテキーラにしても臭いのきつい、いわば「くさい酒」だから、芋焼酎あたりがいいだろうと思い、「薩摩・鉄幹黒」(900ml・1270円)というのを買ってきた。
うまい!
酔いの感じも悪くない。勝手な理屈だが、根菜ってのがいいのだろうか。なんてったって「Root」だ…(笑)。
いや、焼酎もすばらしいですねえ。ちょっと新鮮な驚きでした。
yossyさん、与太話にはたどり着いてないですが、焼酎のご紹介、ありがとうございました。
ところで、少々、困ったことになっている。
というのも、Jが週明けにパスポートを取りに行くという。カンボジアに来る気満々なのだ(笑)。まあ、ひとりじゃきっと来れないし、ほっとけばいいのだろうが…。
彼女のような「大いなる」タイ王国ののヒトは、外の世界を見るのも悪くないとも思う。ただ、それだけに異文化体験というのは、たいへん大きな意味を持つだろう。カルチャー・ショックってヤツだ。ある意味、日本のどんな街以上に外国慣れしているパタヤに住んでいるとはいっても、Jを含めほとんどのタイ人のアイデンティティはそこがタイ国内である限り揺るぎない。
ストレスフルな「労働」に従事せざる得ないおれには重荷になるような気がしてとってもユーツになのだ。彼女の緩衝材になってやるヒマも余裕もおれにはきっとない。
例によって、Jはとっても簡単に考えている。
「タイ語、通じないんだぞ」といったら、やっぱりびっくりしていた(笑)。
まったく、いい気なもんですよね…。
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生活の態度(その1)
海外に出るとアドレナリンも出る。ある程度は、だれでも未知の場所では緊張するものだから、当然のことかも知れない。おれの場合、長い間、これが海外に出ることの最大の喜びだった。
日本にいると弛緩してくる。緩んでくる。それが醜さにつながる…そう思っていた。日常における闘争や危険が限りなく少ない日本では、街を歩くのにそう、テンションをあげる必要もない。
昨日は一日、使い物にならず阿佐ヶ谷をぶらぶら散策した。
タイでは街を散策なんてしない。「歩く」なんて気分にはならないのだ。歩くとしたらビーチかショッピング・センターである。しかし「歩く」のは「速度の基本」だ。あまり歩かないのはぜったい良くない。
ところがタイ…メタメタ暑いし、歩くための環境が整備されていない。危険だし排気ガスで気分が悪くなる。だから、どこに行くのもバイクである。これが、また、アドレナリンを湧出させる。優雅に運転するにしてもジェントルさを維持するにも、そのためにヒジョーな警戒心を求められる。車に乗ればきっと景色は違って見えるのだろうが、そんな金はない(笑)。
「リトル・トゥリー」という本で描かれるアメリカ先住民のおじいちゃんは、「握手ってのは野蛮な習慣だ」といっていた。「袖にナイフや武器を忍ばせていないことを確認する」ための儀式だというのだ。
そもそも動物は同種であってもコミュニケーションのための最初の行動は「攻撃意志の有無」の確認である。タイ人の笑顔は西洋人の「握手」と同じ機能を果たす。同じ農耕民族のなのに、現代社会でもタイや東南アジアの方が日本より「攻撃性」「戦闘性」をうちに秘めている。日本は武士という「戦士」がかつていて、戦闘文化を持っているようにいわれるが、あれは様式化されすぎていて、プリミティブな個人の戦闘性を包含していないと思う。だいたい、そのメンタリティたるや、自己優位性の盲信からくる集団陶酔の涯てにバンザイしてすべてを投げ出す「すべてか無か」の世界。駄々を捏ねる世間知らずのガキと同じで、それをもっともらしいセオリーで粉飾したに過ぎない。
人間の生存に関わる「戦闘」は駆け引きなのだ。そして、あっさりケリがつくものではない。延々と続く日常の「生存に関わる」業務である(笑)。
だから、日本人は戦闘に弱いと思う。「ゼロか百か」のヒトたちは、「百」の中で疑いを持たずに粛々と生きる時には粘り強い。が、1つでも2つでも上積みして「70生きれるか、71生きれるか」を問われるとき、まるで役に立たない。
たとえば、山小屋の小屋番をしていたときには不思議に思ったものだ。厳冬期の雪山で多くの遭難者が一晩で死んでしまうのである。じゅうぶん装備も食料も持ったわざわざ冬山にやってくるような健康な大人が、道に迷ってたった一晩保たずに死ぬ。若いのやパーティーを組んでいる場合はそうでもないのだが、中高年の単独行者はほぼ、間違いなく死ぬ。たぶん生きることに「バンザイ」しちゃうんだと思う。いくら装備に金をかけても、ふだんジムに通って体を鍛えても、ココロが「バンザイ」したら生き残れない。
一方、タイ人もあまり強くないと思う。基本的に直球勝負のヒトや感情をあおるだけで戦略のないヒトは長い闘いに耐えられない。だから笑顔である。笑顔でつけいる。笑顔で引き出す。こうなると、一見、狡猾なようだが、怠惰なだけだろう。しかもその程度で憐憫を示してくれるヒトビトがタイにはたくさんいる。
日本人はお辞儀だ。しかし、これもまた困ったものである。握手や笑顔はわかりやすいが、お辞儀は難解だ。時に滑稽でもある。だから、日本人を揶揄するときに必ず使われる。
タイのテレビで整髪剤のコマーシャルを見たことがある。座敷で学ランの兄ちゃんがお辞儀をするのだが、髪が乱れる。しかし、その整髪剤を使えば、日本人のように何度もお辞儀を繰り返しても髪が乱れないというわけだ。
だから、お辞儀は「攻撃性の有無」の確認にはあまり役に立たない。この挨拶は「儀式」である。日本はコミュニケーションのための最初の行動である「攻撃意志の有無」の確認を挨拶以前に処理して、挨拶をいきなり「儀式」化して使用する。
挨拶が「攻撃性の有無の確認」である文化といきなり「様式」「儀式」である文化では前提となっているものが大きく違うような気がする。
なかなか本題にたどり着かない(笑)。長くてスミマセン。
おれは形式的なものがキライだ。儀式や様式の美には、それがいかなる文化に属していようとあまり感銘を受けない。
形式は「価値観の共有」という前提を受け入れた者だけに重要なものとなる。裁判官の衣装や法廷での宣誓が威厳を持つのは法を受け入れるからだ。法を笑う者にとって、あんなものはこけおどしや茶番にしか見えない。
日本から海外に出るというのは、挨拶が「儀式」である国から、挨拶が「攻撃性の確認かも知れないところ」に行くということ。
本能的にそう感じているから、海外に出るとアドレナリンが出てしまうのだ。
それが楽しかったのだが、「儀式」の国の良さも知っている。ただし、儀式の前提となる価値観の共有を受け入れるのでなく、受け入れる「ふり」をして生きる。つらいこともあるが、そうすることで享受できるものがたくさんある。ただ、「ふり」をすることで過剰なストレスになるのならやめた方がいい。それがすべてとなってしまっては本末転倒だ。ただ、その場合は常に「攻撃性の有無の確認」を自分に強いて生きる覚悟が必要である。
たとえば、ここ阿佐ヶ谷でおれはなんの警戒心もなく、なんの束縛もなく、無防備でいられる。そうやっていると、自分に没頭できる。空想や夢想を遮るものは何もない。こんな環境を海外で得ようとしたら、それなりの金が必要であり、さむなくば相当の経験がいる。しかし、日本ならぼろアパート暮らしにも静寂が約束されている(笑)。
本にも映画にも音楽にもアクセスが約束されている。
ネットだって快適だ。
健康を維持するに足る食い物へのアクセスも面倒がない。
昼間から妄想に耽り、こんな駄文をだらだらと書く時間も約束されている(笑)。
ヒトによって大切なモノはそれぞれ違うだろう。おれとって、バイクも海もオンナも重要であることは事実だが、それ以上にこうしたことが譲れない。
だが、おれにとっても、多くの人にとっても「時間」…これが最大の問題だ。通常、「ふり」をすることによって、この約束が反故にされる。「ふり」は社会性を求め、社会的ステイタスを求めてくる。そのために削がれる「時間」は人生の大きな部分を占める。時間は金銭に換算されもする。
二十歳そこそこのガキなら、とんがった顔をしてアウトローを装うのもいいだろう。金が無いのも時には楽しいし、逸脱を演じるのも楽しいものだ。なにより自由になった気がする。でも、それはただ「気がする」だけ、ただの「ごっこ」に過ぎない。もう、いい大人になってしまったおれは、「ごっこ」じゃ満足できないんだな。
「ごっこ」を楽しむヤツらは、すぐに唯々諾々とした模範的な「共有者」となる。おれは20年間、おれの同伴者をたくさん見てきた。かれらはことごとく、「共有者」の囲い地にいつの間にか駆け込んで、おれを置き去りにしていった。残った者はごくわずかだ。いつだっておれは「ふり」の世界に取り残され、新しい仲間は歳を追うごとに若くなっていく。
話がそれたしちょっと愚痴っぽいな(笑)。
貧困が美徳だとか、ストイックさからばかり「美」が生まれるというのは嘘だ。いや、それも真実なのかも知れないが、「美」も「醜」もいろいろなところから生み出される。
そう思うおれは完全な逸脱者になることなく「ふり」をすることが求められる。「ふり」は自死することもできないおれにとってのやむを得ぬ「延命装置」になる。
よって今月中旬から1年間、働きます。
これを言うために延々書いてきたわけではありません(笑)。
「生活の態度」シリーズ(?)は、「自律的な自立に向けて」というおれのテーマ(?)へつながる第1歩で、このシリーズは続きます。
ちなみに職場はカンボジアの首都、プノンペン。
6月下旬くらいからはこちら(
Life Goes On(カンボジア日記))でカンボジアのことを紹介できたらと思っていますので、どうぞよろしくお願いします。
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飛行機嫌い
Jの体重を増やすことに夢中になって、気がついたら自分の体重が1週間で3キロも増えてしまった。肝心のJはというと、パタヤを出る前に計ったところ、2.6キロ増。
ところで、深夜便はどうにも疲れる。
今回は往復とも遅れた。往路ではバンコクに着くまでは順調だったが、スワンナプームで到着予定ゲートに他の飛行機が止まっていて、降りるまで40分くらい待たされた。復路はやはりスワンナプームで同じ出発ゲートの前便が遅れ、1時間ほどの遅れ。
日本は同じアジアといっても、東南アジアは遠い。
実はあまり飛行機は好きじゃない。長距離バスより不快だと思う。狭いシートに押し込められて、轟音にさらされながら6時間。ほとんど苦行だ(笑)。あんな環境ではとても飯を食ったり、酒を飲んだりなどできないおれは、いつも周囲のヒトのタフさに驚く。
ヒトは過剰なストレスにさらされて、ある限界を超えるとパタッと眠くなるらしい。安全装置が働くんでしょうね。アジアくらいの距離だと、そうやって気がつくと目的地に着陸している。
今回はJの不調にかこつけてせわしくパタヤに出かけたわけだが、とりあえず、彼女もほぼ元気になったよう。肝心の健康診断結果は、つい、今しがた、パタヤに郵送されてきたとJから電話があった。英語版も頼んであるので、それを転送させることにする。
久しぶりのパタヤは、良さも感じたし、やっぱりずっと居るのはきついとも感じた。
詳しいことは後日また。
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帰ります
WSは古いゲートを撤去してでっかく新設中。

昨晩、11時ごろ、ちょっと覗きに行ってみた。

それなりに賑わっている。おれたちは通りに面したオープンバーでビールを一杯呑んで退散。
ソイ・ヌンの屋台でクイッティアオを食って帰宅。


昨晩は激しい雷雨があったものの、今日は快晴。海と反対側の空には入道雲がわいて見事です。


大潮なのか、パタヤ・ビーチは潮が引いて、なにやらたくさんのヒトが青いポロシャツを着てゴミ拾いをしていました。
海から戻って近所のカフェでバンコクポストを眺めると「日本政府、アイヌを先住民と認定」という記事が出ている。
ネットでバンコク・ポストのページにはアクセスできなかったが、元ネタはこれと同じのようだ。
http://www.lloyds.com/CmsPhoenix/DowJonesArticle.aspx?id=393647関連ニュースはこんなカンジ。
サミットとというプレッシャー、サミットという政治劇のネタ…
それでも、大きなターニング・ポイントであることは確かだろう。
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